小さな星がほらひとつ

ビジョンの話

仮に

おれがもし

ほんとうに世界を変えると

そこに立てたとして。

 

それをビジョンに

置いたとして。

 

そんなスケールの言葉を

一体どれくらいの仲間が

自分ごとに出来るというのか。

 

スタジオジブリほどの

実力があってはじめて

そのスケールに見合う

言葉になるわけで。

 

うちみたいな

生きるか死ぬかの会社が

そんな言葉を置いてたら

おれはやっぱ嘘くさく感じる。

 

そう考えると

まだそんなビジョンは置けない。

 

というか、

仮に置いたとしても

形骸化して終わるやろうな。

 

バランスだな。

 

みんなが自分ごとに思えないなら

その時点でビジョンの役割を

果たせていないわけで。

 

ビジョンは

大きければいいもんではない。

 

大きさ

やさしさ

わかりやすさ

ワクワク感

組織の規模

スケール

 

みたいなことの

バランスを取らなければ、だ。

 

こんなもん

難しすぎる言語化や。

 

世の中の経営者、

ビジョン適当に置きすぎちゃう?

 

絶対そこまで考えてへんやん。

 

ビジョンはめちゃくちゃむずいな。

 

やし、

まだ個人のビジョンなら

なんでもええっちゃええけど

会社のビジョンってのがむずい。

 

いろんな要因が

多角的に絡んでくる。

 

真剣に考えれば考えるほど

なにが正解なんかわからん

 

でもわからんというのは

やらない理由にはなり得ないから。

 

だからまぁ、バランスなんや。

 

いますぐでない

でもいつかそのうち

スケールを大きくしたい。

 

世界を回す

 

くらいの言葉を置けたら

おれはそのこと自体に

きっと感動してしまって

泣いてまうやろな。

 

おれは

理想を掲げる

現実主義者やから。

 

地に足ついた

輪郭ある言葉でないと

ビジョンに置くことができない。

 

やからそれが置けたとき

それはもうその時点できっと

関西では圧倒的に人気の

エモい会社なってるやろなぁ。

 

知らんけど。

 

というか

理想を掲げた現実主義者

みたいな概念がそもそも

師匠から教えてもらったわけで。

 

すごい!!!

そうなりたい!!!

と願って、

必死に毎日毎日

積み上げてるうちに

 

いつのまにか

師匠の使う言葉が

自分に溶け込んでて

 

それは素直に嬉しい。

 

結局だから

自分が自覚できるような

顕在的な成長は薄いんやな。

 

自分では自覚できないような

形のない成長のほうが

実は自分を大きくしてくれてる。

 

もっと学ぼう。

これからも師匠の言葉に、

ものづくりに対する姿勢に。

 

がんばろ。

ほんまにがんばりたい。

 

きっと会うことはないし

それは叶わないけどいい。

 

クリエイターは

会って会話しなくてもいいんだ。

 

クリエイティブを通して

会話が成り立つんやから。

 

がんばろう。

がんばります。

 

すなおに

まっすぐ。

 

悪意なく生きて

かっこいい人間でいよう。

 

まっすぐ

まっすぐ。

 

 

 

 

 

 

 

あとで追記

そこまでのビジョンは

個人で持てばいいのか。

 

会社のビジョンよりも

個人ビジョンのほうが

スケールでかくてもいい。

 

それがうちらしいな。

 

会社で持つと

重くなりそうだ。