ミッキーが亡くなってから、ずっと『命の価値』について考えてて、
いろんな人の意見を聞きながら、自分なりに答えを出そうとしてきた。
あれから約1年半が経ち、自分の中でまとまってきたから書こうと思う。
結論、命の価値なんてもんはない。
あと、虫も、花も、動物も、人も、まったく一緒。
そう書くと『お前は冷たいやつやなぁ』て言われそうやけど、まぁとりあえず聞いてくれ。
『命の価値』について考える上で、まず『価値』について定義する必要があった。
価値とはなにで、
価値とはどこから生まれるのか。
で、おれの中での価値の定義はこうだ。
価値とは、
『人が対象に見出している、心の比重』のことである。
そして価値には以下3つほどの性質がある。※たぶんもうちょっとある。
①価値とは、その人がその物事に費やしてきた『時間』や『労力』や『お金』に比例する。
これは例えば、自分が看護師になりたくて看護の専門学校に行くとする。でも卒業間近になって、あるキッカケがあり、やっぱり学校の先生になりたい!と思ったとしても、多くの人はきっと看護師になる道を選ぶだろう。
なぜならその人にとって、看護師になるために『時間』『労力』『お金』を費やしてきてるからだ。
この性質は同じようにして恋愛にも色濃くでる。特に長い期間付き合っている倦怠期のカップルがわかりやすい。
結婚する前からセックスレスだし、家に帰ってもろくに会話もしなくて不満だらけ。友達に愚痴をこぼすたびに「別れれば?」と言われるが、別れる人は少ない。
なぜならこれも、『時間』『労力』『お金』をすでに費やしてしまっているからだ。
周りからどう見えようとも、どうしても価値を見出してしまう。
それが『価値』の一つ目の性質。
②価値とは多くの人が見出す『客観的なもの価値』に影響を受ける
例えば、ハイブランドの服は、『ハイブランドだから価値がある』のではない。
もちろん品質がいいのも0ではない。しかし、今はもうファストファッションブランドでも品質の高い衣服を提供している。
ということはだ、ハイブランドだから価値があるのではなく、本質は『多くの人がそのブランドに対して高い価値を見出してる』から、価値があると思い込んでいるのだ。
ただ、この観点でいうと色濃く出るのは男女の違いである。多くの男性はうまいラーメン屋に行こうってなったときに食べログを利用することが多い。参考にするのは評価の点数で、実際に行ってみて、その点数に比べて良いのか悪いのか、を判断している。
でも女性は点数というよりももっと感覚的だ。だから女性はインスタを利用する。点数という事実やデータよりも、イメージを優先する。これはつまり、さっき言った、他の人が価値を見出してるものに価値を見出してる。そしてその価値に対して疑いの目を向ける人は男性よりも圧倒的に少ない。
③価値とは100%主観的なものである
とはいえ、本質はこれだ。
いくら自分が『時間』『労力』『お金』をかけてきていようとも、いくら『周りの人が価値がある』と言おうとも、
結局はそれも踏まえて自分がどれくらい価値を見出すか、が『価値』の基準の全てである。
④価値はもともと0であり、上がっていく
例えばさ、極端な話やけど、生まれた瞬間から何かに高い価値を見出してることってないよね?
生まれながらにしてハイブランドに価値があるとか、看護の資格に価値があるとか、そーゆーのはありえへんやんか?
てことはやで、価値ってもんはそもそも0やねん。わかるかな。つまり、その人が生きていく過程の中で、価値をその人なりに高めていくってことや。
だからこそ、価値は主観やのね。
で、これを前提になにがいいたいかっつーと、
物事に見出す『価値』は人によって違う。
ということなの。
でね、話を本筋に戻すと、おれは命だって一緒やって言いたいの。
だから本質的に、命自体にそんな価値はない。それは人であろうとおんなじ。
じゃぁお前は家族とか大切な友達が死んだら、悲しくないんかい?
てもし聞かれたら、そんなもん、むちゃくちゃ悲しいし、たぶんおれは人一倍悲しいし、何度も墓参りに行くと思う。
だって、おれはその人たちの命に対して価値を見出してるんやもん。
ミッキーの命は、おれにとっては価値の高いものやった。
それでいい。
一年半かけて、命の価値というテーマと向き合ってきて、
やっと自分の中で納得のいく答えを出せたことが嬉しい。
もちろん、この先生きていく中で変わることもあるやろうけど、一旦はよしとする。
命の価値について、意見やアイデアをくれた皆様に感謝します。