母方のばーちゃんがこけて背骨を折った。
自宅療養してたものの、手足をまったく動かせなくなり、救急車で緊急入院に。
じーちゃんが風邪気味やから、おれはじーちゃんのそばにいる。
ばーちゃんは体まったく動かせず、おしっこも垂れ流しでふとももの皮膚も荒れてもーて、担架で運ばれてった。
自分も風邪でしんどいやろに、心配で連絡を待つじーちゃん。
お腹いっぱいやからいらんゆーてんのに、問答無用でイチゴとかチョコとかカステラとか、次々に小皿に盛られる。
全然食いたくないけど、じーちゃん喜ぶから全部食う。
じーちゃんやなぁ、と思う。
1時間後、
おかんから電話きて、なんとか入れる病院が見つかった。
ひとまず、命は大丈夫だそう。
ほっとした。
どうやら今日は明け方まで寝れそうにないな。
母方の家は、金がない。
じーちゃん、ばーちゃん、おっちゃんの3人が、じーちゃんばーちゃんの少ない年金で生活してる。
じーちゃんは前にぶっ倒れて手術して一命とりとめたけどそこからめっきり元気なく、
ばーちゃんはただでさえ右手が不自由なのに、今回ぶっ倒れて大変や。
おっちゃん(おかんの弟)がふだん介護してくれてるけど、おっちゃんは対人関係で20年以上ニート。いきなりの社会復帰は難しい。
おれは遊んでる場合じゃないなと強く思う。
やりたいことやって浮かれてる場合じゃないなって強く思う。
じーちゃんばーちゃんがいなかったら、おかんの命はなかったわけで、
おかんの命がなかったらおれの命はないわけで、
おれはそういう命のつながりを大切にしてる。
だからおれがうまい飯食うよりも、遊びに行ったり飲みに行ったりするよりも、おれが旅行に行ったりするよりも、おれが結婚したりするよりも、
第一に、じーちゃんばーちゃんに何不自由なく暮らしてほしいと思ってるし、安心して、後悔なく死んで欲しいと願ってる。
だからこれからはおれにできる介護があるなら進んでしようと思う。
それは大前提として、一刻も早く事業を大きくしたい。
なんでもいいからオフィスを構えたい。
おれがじーちゃんばーちゃんなら、一番心苦しいのはおっちゃんのニート問題や。
自分らが死んだあと、この子はどうやって生きていくんやろうかって、絶対心配なはず。
30歳。
いい歳の取り方をしてる自信はある。
でもなにも守れない今のおれに辟易する。
悔しい。ただただ悔しい。
間に合うだろうか。
エゴと言われようとも、事業を大きくして、オフィスかなんかを構えて、
おっちゃんに仕事を振りたい。
おれが稼いで、おっちゃんにお金を渡すのでは意味がない。
おっちゃんでも出来ると思う範囲、内容の仕事をつくらないといけない。
経済的だけでなく、精神的な自立を支えないといけない。
間に合うだろうか。
いや、間に合わせよう。
それがいまのおれにできる最大のじーちゃんばーちゃん孝行だと信じて。
ふぅ。
まじめすぎる性格は、昔はきらいやった。
でもいまは好きよ。
言葉を通して心に刻め。
心に刻め。
心に刻め。
目先の出会いと別れに一喜一憂している場合じゃない。ほんまに。
命はいつか散る。
じーちゃんばーちゃんの「いつか」は明日かもしれない。
もうちょい本気で生きよう。
もうちょいできるはず。
こういうとき、体が強くて無理できるひとが羨ましい。
おれには無理やから。
スピード上げるためにも体調管理を一番にする。
もっと生産性を上げたい。
学ぼう。
考えよう。
ないものを嘆くよりも
どうすれば補えるか必死に考えろ。
限られた時間とリソースの中で、
一番最短距離を進むために。
いまの判断基準はズレてないとは思う。
でもそのひとつひとつの精度を上げる。
3時半を過ぎて、ようやくおかんが帰ってきた。
ばあちゃんの容体を聞いたあと、じーちゃんが気にしたのは救急車の搬送費用やった。
ふぅ。
家族のために自分にできることを必死に考えよう。
やっぱり、もっと本気で生きよう。
ひとの3倍くらい必死に生きよう。
今月は150記事の公開と、
サイトの製作を全力でやる。
儲けだけ考えたら他にもあるけど、そこはぶらさずにやる。
心に刻め。
いまこの瞬間を。
へでもねぇぞ。
こうすけよ。
やるって決めてやるだけ。
シンプル!
お前ならできるよ!
おすっめすっ!
おやすみ!