小さな星がほらひとつ

桜が咲き誇る話

オフィスに向かう自転車。

ふと公園を見ると

桜が咲き誇っていた。

 

『咲き誇る』

 

語感も字面も、

なかなか圧のある言葉だ。

 

花に対して

『咲き誇る』

という言葉を使うときは

一面にビッシリと花が咲いている

ことが多い気がする。

 

それは想像するとたしかに

圧のある風景だ。

 

花はただただ咲いてるだけ。

それが人間の目から見て、

誇っているように見えたのだろう。

あるいは誇らしく感じたのかもしれない。

 

いずれにせよ、

『咲き誇る』とはきっと

そういう意味の言葉だろうな。

 

 

 

 

 

 

なぜ、

『生き誇る』

という言葉はないのだろう。

 

語呂は良くないけど

花に対してそんな言葉を作るなら

まず自分たちが

人間たちがやるべきなんじゃねーか

 

自分が出来ないことを

自分がやってないことを

他人に押し付けるのは

人間の卑しいエゴだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生き誇る人たちと生きてえな。

 

やってることの大小でなく

自分の生き方や在り方に

誇りを持ってる人と

生きていきたいと思う。

 

そういう世界観が

当たり前な人たちと

呼吸するように

そんな話をしてぇな。

 

桜が咲き誇ってのるのを

みんなが見たいのは

単純にキレイだからだ。

 

おれは

生き誇ってる人は

もっときれいだと思う。

 

まずおれ自身が

もっと人間として豊かな人になろう。

豊かな心の人になろう。

 

そして豊かな心で

ありのままに生きよう。

 

おれはまだ未完成だ。

もう32年も生きたのに

まだまだ人として未完成だ。

 

死ぬまで未完成で

なにかに挑戦して生きたい。

おれの命はそうであってほしいと

そう、強く願う。

 

さて

今日も今日とて

精一杯全力で生きよう。