『明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。』
だれのなんの言葉かは知らんけど、いつかどこかで出会った、好きな言葉のひとつ。
今日は10月2日。
久しぶりに東京に向かうため、始発に乗っている。
自分の血の気のなさすぎる足を見て、ふとこの言葉を思い出した。
(ほんとは死んでんじゃねーか)
8月で30歳になった。
最高の30代にしようと、誕生日の1ヶ月前から1日1日を大切に生きてたら、気づけばそれが続いてる。
目に見える変化なんてなんもないけど、30歳のおれは20代のおれよりも確実に楽しい。
本質的には命に価値はない、と自分の中で答えを出せてから、すべての肩の荷を降ろせたように思う。
それは言い換えれば、
社会や、国や、仕事で関わる誰かを幸せするために生きる生き方を降ろした。
いまは、どうやったら毎日楽しく生きれるかしか考えてない。
結局、おれにとっての楽しさの中には、関わる誰かを幸せにするってのは含まれてるんやけど、
それが先に来るのか後に来るのかで感覚的には全く違う。
いまのほうが圧倒的にナチュラル。
毎日楽しい。
大切な人には定期的に連絡入れるし、会いに行く。
たとえ死んだとしても、ええ人生やったと、心から言える自分がいることが嬉しい。
『明日死ぬかのように生きよ』
むしろ今日死ぬ感覚で生きてる部活感。よい。
一方で世界への興味と関心が相変わらず底抜けだ。
学びたいことが多すぎて、時間が足りなくて困る。
ほんまに。
いま一番学びたいのは卓球と塗り絵。
あとは猟と格闘技も。
あと気になってるのはリストカット。
こーゆーところがサイコパスって言われる所以なのは重々承知の上で、
おれは経験できることは経験してみたい。
じゃないとその人の本当の気持ちや感情ってわからんから。
あとはだから、一年に一回、
『獣を狩り、捌き、喰らう。』
企画をやりたい。
『魚を釣り、捌き、喰らう。』
企画もな。
もっと全てのコミュニティで恒例企画を作りたい。
祭りに出店を出したり、
卓球の市民大会に出たり、
ボードゲームを極めたり、
バーベキューやキャンプも極めたい。
おれの極めるっつーのは、レベル60までのことなんやけど、この遊びは学習欲の塊みたいなおれからすると楽しい。
始めて、法則性を見出し、上達していく。
その対象がなんであれ、その上達していくプロセス自体が趣味なのや!
どや!
『永遠に生きるかのように学べ』
自分が興味を持ちさえすれば、人生のすべてが趣味になる。
メディアはありがたいことに、ひとりひとりを丁寧に口説いていき、いまは18名体制になりつつある。
そのリクルーティングと育成に空いてる時間と労力を全部ぶっ込んでる。
結果、戦略やシステム、デザインや必須の事務処理に手が回っていない。
あとはひとりひとりのブランディングも。
やりたいこと、やらないといけないことがいっぱいありすぎて手が回ってないけど、
それでもおれの中で、一切の迷いやブレはないし、焦ることもない。
優先順位は明確だ。
人生は不確定要素が起きる、必ず。
でもそれは多くても3割くらいちゃうかな?
ほとんど多くの7割は自分が描いたとおりに人生は進む。
昔から尊敬する孫さんは、『ビジョンを描き、実現を決めれば、それまでのイレギュラーはすべて誤差だ』みたいなことゆーてた。
その言葉も好き。
人生の責任は自分でしか取れない。
でも自分が人生の責任を取ると覚悟さえすれば、
人生はどこまでも自由だ。
なにはともあれ実務家がいる。
同じ熱量フルコミットしてくれる実務家を探す。
熱量込めて企画書つくる。
アポる。
伝える。
それだけ。
きっと見つかる。
たいていのことは願えば叶う。
『明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。』
いつものようにダラダラと言葉を紡いでみて、これは人生を最大限楽しんで死んでいった人の言葉だろうなぁーと思った。
今回の東京は、うまくいけば面白くなりそう。
有名人に過去4度アプローチして、一回も通ったことないんやけど、それでもまたチャレンジしてみようと思う。
今日もピースな1日を。