スノーボードで
ジャンプする競技で
予選通過できなかった女性が、
記者の取材に
『残念に思ってます』
と答えた。
その答えは
今日この日を迎えるまでに
やりきってないやつの言葉だ。
やりきって迎えたやつは
たとえ負けたとしても
こう答える。
『やりきったので悔いはありません。
これが今の自分の実力です。』
と。
それは
ほんとに答えがあるかのように
みんな同じ回答をする。
人生において
なにも挑戦してない人間には
同じ言葉に見えるだろう。
でも違う。
前提が全然違う。
本当にやりきって
当日を迎えた人間は
『残念に思います』
みたいな
結果の責任を
他人に置くような言葉を
決して使わない。
『残念だったね』
は周りがかける言葉だ。
どんな結果であれ
すべて準備し切った人間は
同じ境地に辿り着くんだ。
物事の本質は
だいたい
おんなじだ。
例えば、
仕事でミスが起きて
『自分が悪かった』
と言う人間は
ほんとうはそう思ってない。
本当に
自分が悪いと思う人間は
『すいませんでした』
がまず出てくる言葉だ。
繊細な言葉の違い。
必ずしもそうではないだろう。
でもその言葉を
実際に話してる映像があれば
その仮説の精度は上がる。
言葉が
どこから出てるのか
それは聞けばわかる。
『仮説構築力』
簡単に言い換えると
『想像力』。
この力のレベルを上げると
想像と真実が
かなり近づいてくる。
ドラマでやってる
ミステリというなんちゃら
の主人公はそういうことだ。
仮説がほぼ当たるのは
前提の置き方が
ずば抜けてうまいから。
言葉一つで
その言葉の裏にある
理由や背景を紐解く。
それは
人間そのものに
深い興味がなければ
無理だと思うし
やろうとしても
苦しいと思う。
反面、
生まれ持ったものなんかじゃなくて
意識さえすれば
誰でも身につけられるもの
だとも思う。
オリンピックは楽しい。
やっぱり見てしまう。
みんながんばれ。
日本の選手はがんばれ。
でも他国の選手もがんばれ。
このイベントには
毎日がんばって
積み上げた人しかいない。
いわば
努力の祭典だ。
だからすごい。
オリンピックは
だからすごい。
スノーボードのジャンプで
予選通過できなかった子は
またこっからがんばれ。
君は君なりに積み上げてきた。
それはわかってる。
オリンピックに出てるというじてんで。
でも勝負の世界は
えてして厳しいものなんだよ。
だからがんばれ。
勝負の世界で生きると
自分で決めたのであれば。
おれの言葉なんて
本人に届くことはない。
でもがんばれ。
今の競技で結果を出すこと、
それも大事やけど、
それだけではなくてさ
君の人生で。
きっと大丈夫だよ。
君ならできる。
おれは
できる人にしか
できると言わない。
できるかどうか
わからない人に対しては
『きっと』できるよ
としか言わない。
だから
オリンピック選手とはいえ
直接話したことがない人は
『きっと』としか言えない。
できるよ。
と
きっとできるよ。
も言葉の前提が大きく違う。
おれが『できる』と言うときは
そう言い切るときは
ほんとうにできると思ってる。
答えのないことに
答えを出すことが怖いなら
おれのできるという言葉を
自信に変えればいい。
できる。
できる。
できる。
できる!
あとは自分自身が
できると信じるれるか。
あるいは
『やる』と決められるか。
目の前の仕事も
今月の目標も
長い人生も
本質は同じだ。
同じなんだよ。
知識や技術なら
惜しみなく教えてあげる。
出し惜しみはしない。
でも人生において
最も大切なマインドのひとつ。
『やると決めてやる。』
ということは
教えることはできない。
事業にも人生にも
答えなんてない。
答えがない中で
いかに『最適解』を出せるかなんだ。
そしてその
必死にもがき苦しんで
最適解を出し続けてきた
経験の積み重ねだけが
仮説を真実に近づけていく。
おれは
そう信じる。
おれの、
仲間の、
ジャンプのあの子の、
可能性を心から信じる。
できる。
できるよ。
おれはおれで
自分の言葉を強くするために
自分を鼓舞してやる。
今月も絶対にやる。
絶対にやりきる。
一切妥協せず。
率先垂範だ。
自分がやってないのに
人にやれとは言えない。
当たり前のことや。
テレビをつければ
YouTubeを見れば
自分がやってないのに
自分ができてないのに
えらそうに語る
コメンテーターや
評論家で溢れてる。
ファック。
行動の伴わない人の
安くて軽い言葉なんて
なんの価値もない。
自分がやりきってるから
自分でもやりきれてるから
人にも強く伝えられる。
自分の可能性を
誰よりも信じてるから
人の可能性も信じられる。
難しくない。
物事の本質は
いつだってシンプルだ。
言葉も
思考も
シンプルなほうが強い。
頭がちぎれるほど考えよう。
24時間365日。
やろう。
圧倒的に。
360度
誰が見ても納得いくまで。
自分の選択に
誰にもケチつけなくなるまで。
自分の生き方を
自分の在り方を。
強く、
もっと強く。
誰よりも優しく。
愛ある人に。
おれはなりたいし、
もっとなる。
人間はどこまでいっても
完成することなんてない。
その証拠に
20代は見えなかったことが
30代になって見えるようになった。
きっとこの先
40代でも同じようなことが
起こるんだろう。
だから
おれは人生を先取って
60代以降の人が考えてることを
今やるようにしてる。
片岡鶴太郎
手塚治虫
宮崎駿
3人の心の師が
30代にしておくべきこと
30代にしてたようなことを
おれは素直に
そのままやるだけ。
宮崎駿は言った。
『30代が気力も体力も
人生で一番充実してる』
と。
だからやる。
おれは30代やる。
人生で一番動けるときに
自分のやりたいことやらずに
いつやるってゆーんだい。
そのために
すべてを整える。
体も心も整えるのは
今年チャレンジしたいからだ。
立てた目標は高く
ギリギリいけるかなー?
のところに置いてる。
でもきっといける。
いける流れを生み出すために
ちゃんと積み上げてきたから。
今年はやるだけ。
やるべきことを
とにかくやる。
ほんとにそれだけ。
ビジョンも
方向性も
タスクも
すべてに一貫性があり
一切の迷いがない。
『やりたいこと』では
おれはきっと負けない。
おれには
それだけの熱量が
内にあると信じてる。
自分で
自分の可能性を
信じてる。
それは
積み上げてきたからだ。
暗闇の中を
たった一人で。
ブルージャイアントで
河原に出てきた猫も同じ。
目の前は真っ暗なのに
一歩ずつ前に歩みを進めた。
大も歩みを止めなかった。
毎日毎日サックス吹き続けてる。
世界一に向けて
一切の迷いなく。
そーゆーゾーンに入れたら
もうあとは時間の問題。
そんなレベルで
仕事できる人をおれは知らない。
ビジョンが明確で
方向性も合ってる確信があり
毎日積み上げられるなら
そんなやつに
誰も勝つことなんて出来ない。
だって
違うところで戦ってるんやから。
他人との比較がないから
『このへんでいいか』
がない。
戦ってるのは
去年の
先月の
先週の
昨日の
自分自身と、だ。
強くなりたい。
優しくなりたい。
もっと楽しく生きたい。
まぁそーゆーことだ。
だからやろう。
基準をつくるんだ。
自分の中に。
おれの言葉は
あくまでも基準の
参考にすればいい。
できる。
できる。
できるよ。
突出した才能もない
おれでもできてるんやから。