小さな星がほらひとつ

愛嬌の正体の話

『愛嬌』

 

というのは女の武器として最強の部類に入る。

愛嬌ある女は『顔だけ』の勝負から逃れられる。

 

男は顔を重要視するが、それと同じくらい『明るさ』を重要視する。

 

顔で勝負できないブスが手に入れるべき武器は、男目線でみると愛嬌しかない。

 

男からすれば『愛嬌』と『明るい』は同じだ。

 

女性が何にでも『かわいい』と言うのと同じ感覚だろう。

 

そんな最強の武器、愛嬌だが、愛嬌のある女は全体の1パーセントにも満たない。

 

そして愛嬌は決してすぐに身につくものではないのだ。

 

 

 

 

 

 

愛嬌と同じような言葉に『愛想』という言葉がある。

 

『愛嬌』と『愛想』が持つ言葉の意味合いはほとんど同じだが、愛嬌のほうが上位概念だ。

 

どういうことか。

 

まず『愛想』というものは、

 

愛想をよくする

とか使われる。

 

本人の意思で『良くできる』のだ。

 

それに対して『愛嬌』というものは、

 

愛嬌がある

とか使われる。

 

『ある』=『在る』だ。

意思でも行為でもなく、在り方の話だ。

 

つまり愛嬌は愛想と違い、本人の意思でコントロールすることはできない。

あくまでも本人が無意識で出来ているものということ。

 

ハッキリ言う。

愛嬌がある女は確実にモテる。

120%モテる。

 

ただし、愛嬌が『在る』レベルまでなるためにできることは、

 

普段から周りの人に対して愛想良くすることだけだ。

 

日々のその愛想の積み重ねが、長い年月をかけて表情やしぐさに現れ、

 

愛嬌ある女になるのではないだろうか。

 

『愛想』とは、愛情を持って想う、と書く。

人に興味を関心を持ち、想い、行動すること。

 

愛嬌ある女の正体とはつまり、そんなステキなことをさらっと当たり前にできる女のことである。

 

 

 

 

 

 

 

「艶」についてもいつかまとめる