小さな星がほらひとつ

時代を生きる話

宮崎駿は言った。

『おれたちの時代が終わったんだ』

 

そうかと思う。

 

いつかは自分の時代が終わったと

感じる瞬間がきっと来るんだな。

 

自分たちが生きた時代が

過ぎ去っていく感覚は

よくわかる。

 

スポーツを見ても

メインで活躍してるのは

みんな年下になってしまったし

 

音楽を聴いてても

自分が昔聴いてたバンドは

ほとんどテレビにさえ出ない。

 

時代が終わる

というのはほんとに

同じ時代を生きた人が

いなくなっていくんだろうな。

 

この時代の中で

なにを残せるだろう。

 

なにか欲しいものはない。

はじめから、ないけど

ますます無くなってきた。

 

残したいと思う。

この時代を生きた証を。

みんなでつくったものを。

 

次世代に向けて。

 

自分たちが生きた時代が

そのまままるごと青春だったら

きっと晩年幸せだろうなあ。

 

いつかおれも

きっと言うときがくる。

『おれたちの時代は終わったんだ』と。

でもそれに追加して言いたい。

 

『でも、必死に必死に生きてきたし

 次世代へしっかり種を蒔いてきた』て。

 

その日はほんとに

感慨深いやろなぁ。。

感慨深さで泣くやろなぁ。

 

そうやって

上の世代の想いは

自分たちの世代へ受け継がれ、

 

さらに

次の世代へと

紡いでいくものだと思う。

それが世界の回すということだし

おれはそんな生き方がしたい。

 

それは

血のつながりではなく

同じ系譜の人間だけが

受け継いでいくもので

 

受け継いでいくことに

なんの資格も

なんの才能も必要ない。

 

ただ

そう在りたいと願い

日々積み上げていくだけだ。

 

時代をつくろう。

ぼくらの時代を。

 

人生の挑戦の本番は

30.40.50代なんだな。

 

30代の5年間を

必死に生きてきて

それがわかってきた。

 

おれらの時代が

ここからはじまるんだな。

 

そんなことを思った。

 

師匠の感じてることを

すべて自分ごとに捉えて

同じ後悔を絶対にしたくない。

 

それが恩返しだろう。

完璧な人間なんていない。

師匠の基準も学び

人生の後悔も学ぶ。

 

うーむ

人生の師は

宮崎駿だけなのかもしれない。

 

鶴太郎さん大好き。

手塚治虫も大好き。

井上雄彦、大好き。

 

だけど部分的。

 

宮崎駿は

人生レベルで追って真似してる。

なるほどなぁ。

これからは分けて考えるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぇぇぇ

というか時代つくるんかぁ。

 

まぁでも

それくらいええ会社にしたいな。

どうせやるんなら。

どうせやるなら、は

昔からよく考えてたな。

 

どうせやるなら

どうせ生きるなら

時代つくる、くらいしたいか。

 

まぁそれはでも

あくまでも結果やな。

 

積み上げた先に

まわりからそう見えたり

言われたりするだけの話。

 

結果、そうなれば楽しいなぁ。

 

日本全国の教育者たちが

うちの大学の仕組みとかを

全部パクってほしいなぁ。

 

大学をつくった先に

なにを見据えるのか

考えてみよう。

 

いいテーマをもらえて

ありがたい。

 

 

 

時代をつくる、かぁ。