自分が見えなくなってる。
自分がどうなりたいのか。
自分がどうしたいのか。
自分がなにを食べたいのか。
自分が誰に会いたいのか。
自分が見えなくなってる。
今から上原ひろみさんのピアノを聴きに行く。
手には本。
でも読む気にはならない。
結局、自分を見てない。
おれは。
向き合わないといけないものに向き合わず。
依存することで自己を確立させている。
上野先生は、女は男に依存することで自己を確立し、男は自分だけで自己を確立すると言った。
それはたぶん、違う。
男も依存で自己を確立する。
依存の大きさはイコール、孤独の大きさ。
おれの周りにいる人との比較で起きる。
おれの周りにいる人はみんな、幸せそうだ。
人は生きている限り、比較から逃れることはできない。
明確な目的と目標があれば別だが、そんな強い人は多くはない。
当然おれも、例外ではない。
疲れたときに『疲れた』と言える相手がほしい。
相手の『疲れた』を違和感なく受け入れられる相手がほしい。
そう、おれが思うコレは、依存なんだろうか。
依存だな。
人は依存から逃れることは出来ないんだろうね。
依存から逃れられるのはきっと、1000日回峰行した大阿闍梨くらいだろう。
依存はなくならない。
でもきっと、減らすことは出来る。
とはいえ、今のこの瞬間のおれは孤独であり、依存心が強い。
こんな状態で、上原ひろみさんのピアノを聴きに来たくなかったけども、
こんな状態で、というのは、上原ひろみさんのピアノに何かを期待する自分がいる状態で、
ということ。
ホットコーヒー飲みながら、純粋に楽しむようにしようと思う。
まぁそんなところか。
でもたぶん。
物事を1人の時は重く捉えすぎなのかもしれん。
終わったら飯くいにこう。
間の休憩で吉野家にくる。
牛カルビ頼んだのに、豚の生姜焼きが出てきた。
おれは
牛が
食いたい
変えてもらった。
牛カルビ食った。
上原ひろみさんのピアノを聴くだけの、エネルギーオン!
人を良くすると書いて、食となる。
おれは食うことがこよなく好きだ。
これからは遠慮なく食う。
ただし、遠慮なく食っても良いだけの身体をつくる。
発想を180度変える。
もう一度、音にはいる。
上原さんのピアノを聴き終えて、ほんまによかった。
自分の理想の生き方がそこにあり、おれは弱い自分もおるけど、そうじゃなくて上原さんみたく生きたいって自分の方がやっぱり強い。
魂が歓喜する。
でも、弱い自分も自分やから文章消さない。
全部おれw
とにかく、優先順位のつけ方間違えてたわな。
食と音楽、これおれの中で大事。
人生を確実に豊かにする。
この二つを立てるために、他の全てを整えよう。
明日は詰めて考える。