人間のために仕事してるのに
人間がどんどん嫌いになっていて。
それが一番ひっかかってる。
それはこの会社を経営する
最も根本の「なんのために」という
核心の部分だからだ。
そこがズレてきてるから
エネルギーが湧いてこない。
がんばって沸かせても枯渇する。
でもそんなことないと思いたいし
心の中ではそうじゃない部分もあって
どう整理できるのか、未だ答えが出ない。
いい人生をつくる
だれの。
なんで嫌いなもののために
がんばらないといけないの。
人間そのものに対する
捉え方がネガティブやな。
ほんまに。
みんな何のために生きてるんやろ。
道ゆくひとたち。
何も考えてないどうせ。
自分のことだけ考えてる。
顔つきや所作のひとつでわかる。
そんなこと思ってしまう。
職業病やとも思う。
人間に興味を持ちすぎた結果、
人間に愛想尽かしてる。
しんどくなってて
距離も置きたくなってる。
そうは思いたくないのに。
せやせや。
「誰かのために」
それを先立たせるからしんどい。
いい人生をつくる
は自分たちにかければいいが
それはそれで松下幸之助の教えにも反する。
高市早苗をかっこいいと思う自分もいて
世界のために動きたいとも思ってる。
でも松下幸之助も高市早苗も
日本と日本人のために生きてて
なんで、すごいなと思う。
ビジネスも政治も、
人間のために行われてるからか。
人間人間人間人間。
なんや人間なんか
動物の一種に過ぎないのに。
そこに立ってる時点で
人間のためのエネルギーが湧いてこない。
人間がえらいとか、
人間が尊いとか、
まったく思ってない。
人間も動物も、
植物も虫も星さえも
等しく同じ命だと思うから。
じゃぁ宮崎駿は誰のためにつくった。
まずは高畑勲に認められるために。
そして近所の子供たちのために。
どうせつくるなら
世界を変えると願い。
すごいひとやなぁ。
まぁそうやなぁ。
子供たちのためならがんばれるな。
それは可能性に溢れてるから。
あとは純粋できれいやから。
こういう人間に対する捉え方
今さら変えることはできんと思う。
やし、宮崎駿を心の師とした
証のひとつでもある。
この捉え方を否定することは
宮崎駿を師としたこと自体を
否定してるみたいで嫌やな。
他の人とズレすぎてて
より一層社会に馴染めへんけど
変えようとも思わへん。
人と違うことや
共感者がいないことを恐れない。
おれはおれだけの道を
これまで必死に歩いてきて
それは大事にしたいことだけど、
あくまでもフラットに考え直す。
先入観を持たずに
思い込みを持たずに
心の声を聴く。
なにがしたい。
どう生きたい。
いい人生をつくる
いや、やっぱり違うな。
いい人生を生きる、か。
つくるのニュアンスがあるから
意識が外に向く。
いい人生を生きるのは
内向きでいい言葉。
社会性はそこにないけど、
エゴの塊でいいんだ。
日本という社会を変えるために
松下幸之助も高市早苗も
立ち上がった。
でもおれはそこまで
社会に対して課題感はない。
それはとてもありがたいこと。
だから社会性は
決して先立つことはない。
でも乗せたい。
誰かの役に立つ。
その誰かが身近であればあるほど
おれはエネルギーが湧いてくるから。
それでいいし、それがいい。
なんやそれ。
結局、公式サイトで書いたことと
ほとんど同じところやなぁ。
強いて違うとすれば
いい人生を生きるのが先で
いい人生をつくるのが後ということ。
うん、せやな。
ビジョンを変えようか。
いい人生を生きる。
やっぱり立ち返るのは
30代と40代は必死に生きたい。
もっと全力で生きたいてこと。
それを願ってる。
迷いなく走り切りたい。
そのためのこの2年間の停滞。
2年間てワンピースと同じやな。
そう考えたら停滞ではなく
修行期間って感じやな。
いや、これなんか
こないだも書いた記憶あるな。
新世界編やとかゆーて。
思考が同じところを
何度も巡ってる証拠。
書き出す。
吐き出す。
これはそのためのブログ。
心の声を加工しない。
脊髄反射でアウトプットする。
ブログが大事っていうか
書き出すことが大事なんよな。
自分のいまを知るためには
整理された言葉でなく。
いい人生をつくるという言葉が
しっくりこなくなった理由は
すでにいい人生だから、のいうのもある。
日々の暮らしに大きな不足感がない。
幸せな毎日はすでに今あって
自分なりのいい人生は今日時点で
すでにつくれたんやろな。
もともとは
いい人生をつくるという言葉は
おれ個人の願いを言語化したもので
その対象にはまず自分があった。
やりたいことで生計を立て
不自由なく生きれるお金もあり
結婚までした。
ドラクエ7もめちゃ楽しい。
十二分に幸せだと思う。
それと人間嫌いが相まって
つくるに違和感が出始めたと思う。
自分が対象から外れだしたのに
対象となる人間は嫌いで。
ぐぅ、、となってたな。
よし、そこを変えてみるか。
いい人生を生きるのは
つくるよりも難しくて遠いと思うから。
なんのために?
いい人生を生きるために。
うん、いいと思う。
こんな表現ひとつで何が変わるか
すべてが変わるよ。
ビジョンに対して真剣やし
人生を全力で生きようとしてる。
なんのために仕事するのか
なんのために生きるのか
目的がズレるということは
すべてがズレていくこと。
明日はこれについて話したいな。
いい人生を生きるってのは
果たしてどういうことなのか。
いいな。
コントロール感が弱くなって
いまのうちらしい気がする。
うまく言葉が馴染んでくれれば
嬉しいなと思う。
またいつか変わる日がくるかもやけど
30.40代ではもう変わらん気もするな。
それくらい本質的で普遍的な
いいビジョンやと思うな。