小さな星がほらひとつ

葬式と愛の話

犬の法要に行くと

その度に新しい商品が増えてる。

 

そのすべてが

墓石だとか

ペンダントだとか

ガラスの遺影だとか

しょーもない商品で。

どう切り取っても

金儲けの匂いがしてる。

 

いまや葬式も

冠婚葬祭のビジネスだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

線香を立てる

という行為は

死者を弔うために行うもの。

 

昔の日本では

亡くなった日から一晩中、

その火を絶やさないように

線香の守りをしていた。

 

近代になり

葬式も形式化されて

それがきっと

斎場での通夜に

変わったのだろう。

 

形式化された葬式は

死者を弔うことはできても

 

あとに遺された人たちは

自分の気持ちに

折り合いをつけることが

難しいんじゃないかなと思う。

 

きっと大切なことは

『故人を棺桶に入れるまで』

を自分で出来るか

なんじゃないだろうか。

 

その部分から

一緒にやってあげる

サービスをいつかつくりたい。

 

この世に遺された側の

気持ちを寄り添ったサービスを。

それはきっと愛のある

かけがえのない時間になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

髪でも

歯でも

骨でも

肉でも。

 

おれは

自分が愛する人の一部なら

自分の一部にしたいと思う。

 

冗談でなく

本当にそう思ってる。

 

遺された人間が

愛する人が亡くなった後でも

共に生きたいと願うのは

変なことだろうか。

 

そういう感情を

そういう行為を

頭がおかしい人だと

決めつける人が多い国だけども

 

愛の、

ひとつの形として

おれはありだと思う。

 

実際にそうするかは別として

おれにとっての愛とは

そういう感覚のものだ。

 

『生まれる』

ということはとても

喜ばしいことだと

みんなわかってるけど

 

『死ぬ』

ということも

もっと形を変えれないのかな

もちろん生まれると違って

死ぬはいろんな形があるから

一概には言えないけども。

 

でもまっすぐ生きて

人生をまっとうしてる人も

少なからずいるはず。

 

遺される人たちと

もうすぐ亡くなる人たちと

そういう『死』に

どう向き合っていくのかを

一緒に考えていくのがいいな

 

愛のあるサービスのアイデア。

いつかそのうち。