小さな星がほらひとつ

かっこわるい話

柳生さんという人に

会社の話とか

ナンバーズの話をする。

 

『すごい』

 

と言ってもらえて

自分の、仲間の、

努力が認められて嬉しかった。

 

その反面、

時間が経つごとに

段々と恥ずかしくなってきてる。

 

はぁ、、

なんてかっこわるいことをしたものか。

 

自分のやってることを

聞かれてもないのに

あれこれと話す。

 

33歳にもなって

すごく恥ずかしい。

 

それに

人に褒められて喜ぶ

ということは

別の角度から見れば

他人の評価を気にしてるのや。

 

さらに自分の中に

『すごいでしょ!』

という気持ちが

少なからずある証拠だ。

 

その言い逃れできない事実に

ひとり打ちひしがれる

夏の夜の散歩。

 

はぁ、

かっこわるいなぁ。。

かっこわるいことをした。

 

我が強すぎる。

もっと相手目線で。

惜しみなく与える人間になろう。

 

自分を満たすために

決して人を使わない。

 

自分のことは

ちゃんと自分で満たす。

 

それが

心の自立だろうよ。

 

反省した。

まだ恥ずかしいし

すみませんと思う。

 

すぐに改善しよう。

すぐに。

 

とはいえ

毎日ただ必死にやってるから

意図して改善できるか未知やけど。

 

やってやれないことは

人生で何もないと思うから

チャレンジチャレンジ。

 

考えた。

どうすりゃいいのか。

 

結論、

判断基準を『自分』に置いてるから

こんなことが起きる。

 

おれにはありがたいことに

心の師がたくさんいる

 

鶴太郎さん

手塚治虫

宮崎駿

井上雄彦

 

みんな大尊敬する。

毎日崇拝する。

ひとり宗教だ。

 

このお師匠さんたちの

判断基準をもっと学ぼう。

 

師匠たちは

きっとこんな

恥ずかしいことしない。

 

自分のやってることが

自分の積み上げた技術が

培ったクリエイティブが

『当たり前』のレベルまで

すでに昇華されてるからだ。

 

例えば

朝起きて、

歯を磨いて、

朝ごはん食べて、、、

 

そんな当たり前のことに

『すごいね!』て言われたら

意味わからんし

バカにされたとまだ思うわな。

 

師匠たちは

そーゆーレベルにいると思う。

 

鶴太郎さんは言う。

『人生におけるすべてを

 呼吸と同じようにしたい』

と。

 

かっけぇ、、

 

どうすればそこに立てるだろう。

そこに立ったときに

世界はどう見えてるんだろう。

 

そんなことを

毎日真剣に考えてる。

 

でもきっと近道はなくて

いまの自分の選択肢を

トコトン追求するだけやと思うし

それで合ってる気もする。

 

経営については

自分の中に判断基準を置くべきやけども

でも

それも含めて

おれの表現の一部なんじゃないの?

 

たしかに。

 

てことはやっぱり

師匠たちの本とか動画とか

作品とか漫画とかを

もっかい見直していこう。

 

ほんとは

本とかYouTubeを見ずに

作品の中からそれを

学べればすごいんやけど

 

まだまだ

おれはそんなところにいない。

 

クリエイターだと

自分を呼んでいいと思えるようになって

まだまだ日が浅いから。

 

がんばろう。

ほんとに。

 

弱い自分も

自分の一番なんやけど

やっぱ出来るだけ

表に出てきて欲しくないんだなぁ

 

嫌いなわけじゃないよ。

でも弱い子たちも

あんまり出たがりじゃないから。

 

はぁ、

そーゆー意味ではごめんね。

ぁぁ。

 

まぁ

それを恥ずかしいと思える

今日の自分を認めようか。

 

人生で起こるすべてが

自分の写す鏡だ。

ほんとに。

 

負けない。

自分に。

 

素直に。

正直に。

まっすぐに。

 

人として

真っ当に生きよう。