散歩に出た。
カフェインを取りすぎたら
寝れなくなる。
それと同じように
考えすぎたら
よる寝れない。
気づいたらこの時間で
だめだ
と思って散歩にでた。
はぁ
はぁ
呼吸が浅いと思う。
もう今年はずっとだ。
仕方ないけど
まぁ、仕方ねーな。
心に空いた
大きな大きな穴を
必死で仕事で埋めてる。
救われるのは
仕事自体が
やりたいことだからだ。
はぁ
そんなことどーでもよーーー
一晩で
体が鍛えられたらいいのに。
痩せたい。
脂肪を
吸引して欲しい。
はぁ
体が重い。
心にもやがかかってる。
ひぃ
へぇ
ふぅ
鶴太郎さんはいう
『人生における全てを
呼吸と同じレベルで
自然にしたい。』
おれはまだまだ
その域にはいけてなくて
仕事とか
人生とか
まだまだ
『がんばってる』
感覚がある。
それのひとつは
自分が描いた絵が
自分が描いた理想が
今の自分にとって
ギリギリの高さにあるからだ。
バカみたいな話、
『自分でやりたい!』
と描いておいて、
『あーーーしんどい!』
ってなってる
風邪をひいたり
嫌なことが
いくつも重なったら
死ぬほどタスクが増えて
すべてを
投げ出したい
と思うこともよくある。
でもそれでも
なんで
そんな高いところを
できるかできないか
ギリギリのところを
描いて目指すのかというと
そーでもせんと
人生なんて
おもろないからや
それは多くの
日本人の価値観を否定するわけでなく
単純におれが
刺激ジャンキーなだけや。
だから結局
ハタチのときに
バックパッカーで東南アジア行って
たまたま写真あった。
これよねぇ。
刺激しかなかったなぁ。
このときから
13年が経って
おれはノイみたいに
人として
輝いてるんかと思うと
わからんなぁ。
でも彼女と同じように
まっすぐ
純粋に
生きれてるとは思うな。
また会いたい。
旅で出会って
一緒に過ごしたこの人たちと。
国籍とか
性別とか
文化とか
いろんなことが
フラットに見れてるのは
きっと若いときに
バックパッカーって形で
旅したからだと思う。
はぁ
どうでもよーーーー
心休まらない。
どこにいても
だれといても
なにをしてても。
それは仕方ない。
でもそれを
誰のせいにもしないし
誰かとか
何かとか
外部のもので
満たそうとも思わない。
おれは
逃げなかった。
それは自信がある。
最後まで向き合った。
そう自信を持って言える。
まだそれを
前向きにどうこう言えないけども
おれはきっと
この先の人生も
そのスタンスを変えない。
それが確信に変わった。
どれだけ
自分が辛いときでも
死にそうになるまで
人の言葉を信じ、
可能性を見出そうとする。
病的なほどに
猟奇的なほどに
ポジティブに努めようとする。
どんな人にも
可能性があると信じてる。
そうそう。
『人間』
というものの
可能性をおれは
心の底から信じてる。
自分に対してはもちろん
他人に対しても
『できる!』
という
強烈な前提を持ってる。
それはでも
正しく言えば
おれが
おれ自身に対して
可能性を信じてるからだ。
その大きさだけ
他人を信じれてる。
だから
『姿勢』なんだよな。
技術も
経験も
そんなもんは
いくらでも身につく。
でも
『姿勢』
だけは別だ。
それは決して
教えることはできない。
姿勢がある人間の
前提条件を考えないとだな。
こんだけ
姿勢姿勢ゆーくらいなら笑
ビーサンに
ダウン着て散歩して
『組合せおかしいやん!』
とかよく言われるけど、
やってみたらわかる。
きもちーんよ。
クーラー
ガンガンにつけた部屋でさ
毛布かぶって寝るみたいなもんやん。
まぁ
ツッコミならええんやけど
やったことないこととか
自分にできないこととか
無理とか
できないとか
わからんとか
言うのやめよ
ほんとに
言葉って大事。
潜在意識は
いいとかわるいとか
判別できひんから
はぁ
引き続きどうでもよーーーー
街の電気が
一斉に消えて欲しい
そしたら
田舎と同じくらい
夜空の星が見えるのかな?
もしくは
空気が汚いから
暗くなっても星は見えないのかな。
もし南海トラフがきて
大阪市がほぼ壊滅して
すべてが崩壊しても
もしかすると
星は綺麗に見えるのかもな。
それくらいさ
根本的に価値観を
ぶっこわさないとさ
みんな
気づかないんだな
大切なものに。
いいかい。
人生で大切なことは
1割しかない。
人生で難しいのは
自分にとっての大切は
『当たり前』
になってしまうからなんだよ。
だから
毎日立ち返る。
当たり前に感謝する。
散歩がきもちーのはさ
だれかが
この街を設計してさ
歩きやすいように
コンクリとかで固めてくれてさ
桜並木とかさ
もうね
そーゆーことなんよ。
カンボジアとかさ
フィリピンとかさ
たとえば
地面すら舗装されてなくてさ
水の上で生きてたりさ
ゴミの中で生きてたらしてさ
世界は
そーゆーことが当たり前でさ
この日本という国は
世界の汚い部分を
すべて見えなくしてる。
アジアの市場に行けば
豚とか
頭から尻尾まで
ぶった斬っただけで売られててさ
でも
日本は見えへんやん
生産
の次が
もうスーパーやん。
牛とか豚とか鳥とか
殺すところとかさ
経済的な格差とかさ
あーーーー
はぁ
愛がないよなぁ。
まじで。
資本主義の奴隷どもが。
ファック。
せめて
せめて
自分の生まれ育った地域だけでも
もっともっと良くしたい。
それは
前向きに楽しくするのもあるけど
孤児とか
障害者とか
そーゆーさ
自分の力で
どうしようもない
困ってる人たちをさ
助けたいよな!
電車乗っててさ
目の前で立ってる
ばーちゃんとかに
席譲ったりさ
外国人が
道に迷ってたらさ
教えてあげたらいいやん!
そーゆーことの
延長線上なだけやし
困ってる人とかさ
悩んでる人とかさ
救おうよ。
助けになろうよ。
じゃないと
なんのために
生きてんの?
ただ呼吸して
己の懐肥やすために
誰かを犠牲にしたり
誰かを蹴落としたりして
ほんとうに
それで幸せなの?
ああもう
愛なんだよ
世界は愛でできてる。
惜しみなく与えろ。
『惜しみなく』
知識も
情報も
技術も
お金も
愛情も
惜しみなく。
すべての人に、でなくていい。
まずは大切な人に。
家族に
友達に
仲間に
惜しみなく与えよう。
損得で生きるな
資本主義の奴隷になるな
惜しみなく
なんだよ。
1%でも
損得で生きてたら
周りすべてが
そーゆー人になるよ。
惜しみなく与える人には
惜しみなく返ってくる
それはでも
返ってくるから
与えるのではないんだよ
『与えること自体』
に喜びを感じる
生き方を選ぶってことなんだ。
生き方であり
人としての『在り方』の話だ。
はぁ、帰ろ。
どうでもよーーー
ふぁーーーー
もうすこしがんばれ
歩みを止めるな。
はぁーーー
深く深呼吸する。
これがいつも
忘れてしまうんだなぁ。
いまは
そこにいるんだねぇ。