小さな星がほらひとつ

宮崎駿のクリエイティブの話

◆子供は可能性を持ってる存在で、しかも、その可能性がいつも敗れ続けていくっていう存在だから、子供に向かって語ることは価値がある。もう敗れ切きってしまった大人にね、僕はなにも言う気は起らない。
◆やっぱり作品というのは、本当はワンショットを見た瞬間にね、「これは正座して観なきゃいけない映画だって理解してもらわないといけない。そういう説得感というか、そのインパクトっていうのをですね、本来は映像の中に持たせるべきだと思うんです。そういう緊張感をエンターテイメントといえども持つべきだと思うんですけどね。
◆クリエイターとして、映像のクオリティーに関しては、ほんのわずかでもいいから一作品ごとに試みるべきだって思いますね。そういうことを放棄した途端に、アニメーションはただストーリーを説明するためだけの手段になってしまう。
◆観終わったときに、実に「ああ映画を観た!」っていうような、そういう映画を作りたいですね。なんか本当にそれだけですよ。「ああ、金を払って得をした」とか「観に来てよかった」っていうような。
◆エンターテイメントっていうのはなにかって言ったら、間口が広いことですよ。敷居が低くて、誰でも入れるんですよ。でもチャップリンの映画が一番好きなのは、なんか間口が広いんだけど、入っていくうちにいつの間にか階段を昇ってっちゃうんですよね。なんかこう妙に清められた気持ちになったりね。なんか厳粛な気持ちになったり。それが僕はエンターテイメントの理想なんじゃないかと思うんです。ディズニーの作品で一番嫌なのは、入口と出口が同じだと思うんですよね。なんか「ああ、楽しかったな」って出てくるんですよ。入口と同じように出口も敷居が低くて、同じように間口が広いんですよ。エンターテイメントっていうのは、観ているうちになんかいつの間にかこう壁が狭くなっててね、立ち止まって「うーーーーーん」って考えてね、「そうか、おれはこれではだめだ」とかね、そういうふうなのが理想だと思うんです。まあでも壮絶に高くなることは無理ですけど。
◆ずっと同じようなクリエイティブを続けていくうちに、ここはこういう構図や表現で、っていう黄金パターンができてくる。だからその黄金パターンを崩すことなんですよ。あるいは、黄金パターンであっても、それを活き活きとできるかどうかなんですよ。その結果、パターン化になることは全然恐れてませんけど。
◆生身の人間が愛だの正義だのって言ってたら我慢できないけども、絵で描いたものがやってるぶんには、まあそのぶんだけ希薄だから許せるとか、観てる側も「そんなことありえねーよ」とか言わないで、とりあえず観てみようかという気になるっていう。それはアニメという表現のもつメリットですよね。まあそこに甘えてしまうと欠陥になってしまいますけども。
◆みんな真面目に「自分はどういうふうに生きていったらいいんだろう」ってふうに子供たちが思ってることだけはもう間違いないと思います。で、それに対して、「自分のように生きればいいんだ」とは言えないですよね。もう最低の生き方をしてるから(笑)だけど「本当にそういうことを真面目にいってくれないかなあ」っていうね、言ってるくれる人いないかなあって子どもたちが思ってることは間違いないんですよ。
◆最終的に幸福にならないのが生き物なんじゃないですか。いつもその矛盾の真っ只中にいるから生きているのであって、いつも充足して満たされている状態というのは、天国ですよ。だから僕は傷を持たないヒロインは作りたくないですね。例えば、自分の仕事をすごく評価してくれてた人が、ナウシカのときに「なんで宮崎駿がこんなもの(人を殺しても泣かなかった)をつくったんだろう」って書いてたことがあって、なにをこのバカは言ってるんだと(笑)。人を殺した人間だから、殺すことの痛みがわかった人間だから。それで膝を曲げるんじゃ無くて、それを背負って歩いてる人間だから、この娘は描くに値するんじゃないかと僕は思うんですよ。純潔であるとか、汚れてないことによって、それが価値があるっていうふうな見方というのはね、なんかものすごくくだらないんじゃないかっていう気がするんですよね。泥まみれで汚れてて、それで傷だらけだから僕は宮沢賢治が好きなんですよ。
◆僕は手塚治虫さんの漫画にものすごい影響を受けた人間なんですよ。それで自分がこういう仕事をやるときに「このままでは彼のスケールを越えることはできない」っていうところまで追い詰められた人間なんですよ。石ノ森章太郎をはじめとして、手塚さんの流れを汲んでマンガに入った人たちも一人として彼を超えてないと思うんですよ。だから20代のころにアニメーションをやってることにひどい葛藤があったんですけど、そのあとに彼がアニメーションに手を出したことによって僕は救われたんです(笑)
◆あの人のニヒリズムに僕らは畏怖の気持ちで憧れ、影響されたんです。あの人の中に、その後のこの国の大衆文化の光と影が凝縮されてあると思うんです。だから、死んだってちっとも安心なんかできない。彼への自分の言葉は、一番自分への鋭い刃にならなければならないはずなんです。


つづく