目の話

オリンピックが好き。

 

すごく好き。

 

みんな見てる人って、メダル取れた取れへんみたいなところ見てるんやろけど、

 

おれからしたら、オリンピックという世界一。決める舞台で、

 

10位以内に入賞しただけですごいと思う。

 

だって、その背景には120%、日々の地味なルーティンがあるから。

 

そういう継続したトレーニングがなければ、入賞どころかきっとオリンピック選手にも選ばれることはないわけで、

 

勝ち負けしかない世界は、おれがいる、どれだけマーケットシェアを取れるかという戦いよりもよっぽど過酷な世界やと思う。

 

1か0か、そんな世界で生き続ける人たちをおれは無条件で尊敬している。

 

だからオリンピックが好きだ。

 

勝手にその人の努力や葛藤を、同世代の強さやニュースから想像するのが好きだ。

 

勝手に想像して、勝手に励まされてる。

 

なんて燃費のいいぼくでしょうか。

 

はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

営利目的だけで事業するのはきっと、もっと超簡単。

 

おれがいま大変なのは、一番培った人材とか採用とかの土俵を捨てたから。

 

そして営利を第一次目的にしてないから。

 

ずっとずっとずっとずっと葛藤してる。

 

でも生き方をブラさない。

 

鶴太郎さんから教わった、

 

魂が歓喜する生き方を貫く。

 

 

 

 

 

 

 

 

その生き方は、ほとんどまんま、オリンピック選手に近しいと思う。

 

いや、そりゃ実際オリンピック選手を目の前にしてそんなこと言われへんけど、

 

日々、ルーティンのようにタスクを積み上げていくことって、

 

すげー孤独な作業やし、

 

それがどれだけ好きなものであってもしんどい瞬間なんか山ほどある。

 

オリンピック選手が金メダルを目指すように、おれはおれで、自分の人生の金メダルを目指してる。

 

でもさ、最悪、金メダルじゃなくてもええんよ。

 

一番大事なことは、自分の心を偽ることなく、正直にまっすぐチャレンジしたこと。

 

もちろん、結果が伴えば万々歳やけど、納得のいくまでチャレンジしたかどうかのほうが、おれにとっては大事やねん。

 

誰にもできるルーティンを、誰にもできひんくらい徹底すること。

 

そこには強い意志と覚悟が伴う。

 

それはやっぱり、目に宿るんよなぁ。

 

意志と覚悟のある目は、それだけで美しいと思う。

 

おれもそんな意志と覚悟が奥にある、優しい目をしたオトナでいたいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうでもいいけど、

 

「願う」は「思う」の上位概念だ。