小さな星がほらひとつ

家族について整理する話

血が繋がっていること

 

が家族の定義であれば、ミッキーはおれの家族ではなくなる。

 

血は繋がっていないどころか、犬だ。

 

でもミッキーはおれの中で家族だったし、いまもそう思ってる。

 

家族になるには、必ずしも血の繋がりはなくてもいい。

 

それがなかったとしても、長く同じ時間を過ごすこと。

同じ体験や経験をして、感情を共有し、言葉を交わし続けること。

 

その中できっと絆は深くなり、家族になる。

 

そう考えると「家族」というのは、いろんな繋がりの中で一番深いのかもしれないと思った。

 

知らない人

顔は知ってるけど名前は知らない人

名前は知ってるけど顔は知らない人

知り合い・知ってる人

友人

友達

親友

職場の人

先輩後輩

上司部下

同僚

仲間

 

そして家族。

 

友達のくくりの中では、きっと「親友」が一番深い。

 

知り合い

友達

親友

 

と進化していく。

最初から親友のやつなんていない。

すべてがこのプロセスで進化していく。

 

会社のくくりの中では「仲間」が一番深い。

 

職場の人

先輩後輩

上司部下

同僚

仲間

 

と進化していく。

最初から仲間のやつなんていない。

友達と同じく、仲間になるためにはプロセスがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

なのに「家族」だけがズレてる。

 

家族は生まれたときから家族だ。

 

祖父祖母

父母

兄弟姉妹

自分

 

家族は進化することがない。

最初から最後まで家族だ。

 

だから、ややこしいのか。

 

おれはここにやっぱり、血のつながりは必須じゃないと思う。

 

それを認めてしまったら、ミッキーはおれの家族じゃなくなっちゃうから。

 

だから家族は最初から家族単体なんやけども、例外もあるよって感じか。

 

 

 

 

 

 

 

 

逆も考えてみる。

 

血のつながりさえあれば、関係性がなくても家族なのか?

 

それはきっとまたややこしいんやけども、法律上の家族と、心の家族に今度は分けて考えないといけんくなる。

 

血のつながり、というのはあくまでも人間が共同生活をする中で定めた、

 

法律上の家族ではある。

 

そしてこの家族の定義は、きっと一般的でもある。

 

そうか。

 

ここに大きなズレの正体があるのか。

 

ミッキーが死んだとき、友達や親戚の反応が違うかったのはこのせいか。

 

血のつながりだけを家族と捉えている人にとっては当然、

 

「飼っている犬が死んだ」だけなんやなぁ。

 

死に対する捉え方。

家族に対する捉え方。

 

おれはだから、柔軟に捉えてるのな。やっぱり。

 

おれは、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふぅ。

 

自分の感覚が正しいとは思わない。

 

でもそういう感覚もあるし、それが大切ならそれを大切にしたら、といえる家族であってほしいと切に願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれたちは、

 

というか人間は、

 

元を辿ればすべて宇宙にたどり着く。

 

高橋家の一員でありながら、

 

おれは日本人であり、

 

アジア人であり、

 

地球人であり、

 

宇宙人だ。

 

はぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この問題はおれにとってなんの問題でもない。

 

すでに考えおわってて、自分の中で納得のいく答えも出てる。

 

でも大切な人が問題だと捉えるなら、一緒に答えが出るまで考えたいし、諦めずに対話したいと思う。

 

人を愛することに条件なんかいらない。

 

おれは家族を愛するように、

隣人を、友達を、仲間を、世界を愛してる。

 

それはこの先も変わらない。

 

今日も世界はPEASEだわ

 

 

 

 

 

 

翌日に追記

 

家族は最初から家族なのは、

 

それこそ血の繋がっている場合だけだ。

 

「夫婦」

 

は他人から家族に進化していることを忘れてはならないと思う。