「ギブ&テイクが大事だよね」
って言う人がおるけど、
それは言い換えればテイク前提のギブやろ?
ようは「自分が得するためには、先に相手を得させなさい」やん。
結局、損得勘定。
得があるから付き合うし、損するなら切れる関係。
しょーもない。
ほんまに豊かなひとは発想がちゃう。
ほんまに豊かなひとらはギブ&ギブ。
与えて与えて与えて与えて、
与えたことは与えた瞬間に忘れる
それがほんまに豊かなひとの発想やと思う。
心に余裕のないひとはみんな、テイクに執着する。
なにかを与えられるために打算的に動くひとを、30歳のおれは全く受け付けんくなった。
表面的な関係性のひとは自然に距離ができていく。
そんなひとらと付き合えるほど、おれは暇じゃないから。
周りには年々、ギブ&ギブのひとしかおらんくなってきて、それがしあわせなことに影響してると思う。
今日はいまから犬の3回忌供養ににいきます
すべての出会いと出来事のおかげで今の自分がある。
お世話になった人と言葉に感謝して。
供養に行ってきた。
何度か供養に行って思う。
供養という文化自体が、残されたひとたちが「死離れ」できるようになるためのものななんやろな。
ミッキーの死から2年が経ったいまでも、
家に帰って階段を上がるたびに「わんわん」っておかりの声が聴こえてくる気がするから不思議。
また会いたいといつも願うけど、叶わないことがわかってるから、その寂しさを抱えて前向いて生きてる。
亡くなった犬たちの遺影の前で、
坊さんがレクイエムを歌ってる。
ふと左に目を向ければ、初七日を迎える家族がいて、
ハタチくらいの男の子が姿勢良く、まっすぐ前を見つめながら泣いてた。
初七日の供養か。
辛いよな。
辛いよな。
わかるよ。
君にとっても
すごくすごく大切な存在やったんやな。
辛くてもがんばろうな。
きっとこの先も君がつらいとき
支えになってくれるよ。死んでなお。