小さな星がほらひとつ

捌いた話

鳥を捌いてきた。

 

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まぁ正確には、捌いたのを食べてきたんやけど。

 

2年くらい温めた企画。

 

ミッキーが死んで、命の価値について考えてたから、

 

なにを感じるのか楽しみやったけど、

 

結論、なにも感じひんかった。

 

 

 

 

 

 

 

命に価値はない、というのがおれの答えやし。

 

それが鳥であろうと変わらんのやな。

 

頸動脈を切るときは、鳥もバタついて苦しそうやったけど、それくらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

連続殺人とかって、人間に思考があるから殺し続けるんやろなって思った。

 

思考のない家畜は、反応が刹那的。

鳥はまぁ脳が小さいほうなんやろうけど。

 

でも人間には思考があり、感情があるから、

 

もがき、苦しみ、悲しみ、泣き、恐れ、許しを乞い、感情が崩壊し、精神が崩壊する。

 

そんなさまを見るのが、連続殺人するひとは快楽に感じるのかもしれんと思う。

 

戦争でひとを殺し続けたひとは、

 

思考がある人間を家畜と同じような基準で見ないと精神が壊れてしまうのだろう。

 

でもなるほど。

 

こういうことを想像してる時点で、いろいろ感じてるんやな笑

 

感情や思考のスイッチを自分でONOFF切り替えられたらええのにな、と思った話