小さな星がほらひとつ

母方のじーちゃんの話

急に倒れて、MRIをとった。

脳に水がたまってるらしい。

 

水が溜まってるから倒れたんか、倒れたから水が溜まったんか、おれにはわからんし、わからんことは考えてもしゃーないけど、

 

でもわかってるのは、じーちゃんの命が限られてるから、一緒にいれる時間も限られてるってこと。

 

この一年半でいろいろと準備進めてきて、自分の中で必要なスキルと経験がWEBやから、それを東京の会社に入って磨きたい。

 

自分だけの人生を考えるならそやねん。

 

でもおれの人生はそもそも、じーちゃんばーちゃんがおらんだら、始まってもないわけで、そう考えるとおれが生きてきた29年間の嬉しいことも楽しいことも、

 

全部じーちゃんばーちゃんが命を紡いでくれたおかげやねんな。

 

だから、おれは、せやねん。

キャリアとか、人生設計とか、そんなんまた作ればええねん。何度でも0から。

 

ミッキーがそれを教えてくれた。

 

ほとんどの人が、大切なものを失ってから、その大切さに気づく。おれもそうだ。ミッキーが亡くなってから、その重要性に気づいた。

 

本当に豊かな心を持つ人は、大切なものが何かちゃんとわかってて、失う前からそれを大切に出来る人やと思う。

 

そこにはいろんな葛藤あんねん。

会社とか、キャリアとか、コミュニティとかさ。

ひとは繋がりの中で生きてるから。

 

おれはいまも葛藤してる。

 

でもほんまは葛藤してること自体がムカつく。ミッキーのことがあったのに、死に目に立ち会われへんかったのに、

 

じいちゃんにも同じことしてしまおうと考えてる自分に心底ヘドがでる。

 

義理、筋、人情を欠いては、人の道にあらず。

 

おれの命があり、五体満足で生きてることに対する感謝がじーちゃんばーちゃんにある。

 

家族を、命のルーツを、優先出来ひん人間が、他人を大切に出来ると思うな。

 

戒めろお前。

 

納得するには時間がいる。

自分がつくった人生設計を自分で壊すことには大きな抵抗がある。

 

そんなおれもおる。

それはそれで否定しない。

 

いろんなおれがおれん中で喧嘩してるからモヤモヤする。

 

わかってるのは自分の魂が歓喜する生き方がしたいってこと。

それを人生の判断基準にするって答えは出てるけど、それでも「頭」を納得させるのには時間がかかる。

 

難しい。

この選択は難しい。

 

いや、選択自体は難しくない。

すでに決まってる。

 

選択した後に生まれる葛藤を処理することが難しい。自分の中にある異なる自分の意見を一本化するということは、それ以外の自分を押さえつけるのと一緒やから。

 

あとおれは弱いから。

 

じーちゃん理由にして楽な方に逃げようとしてんちゃうかって、また東京行きたくないなーって。

 

 

 

 

 

 

 

あーーーーー

きちぃ。

 

こういう取り留めもない話を聞いてくれる友達がいてよかった。

それだけで人生救われる。