小さな星がほらひとつ

単純思考アウトプットの話

思考が止まってる、しばらく

辛い。ストレスだ。

 

ただ止めているのは自分という事実。

重い。

思考が、身体が。

 

恋愛を学ぶということ。

性を学ぶということ。

 

それは日本において潜在的であり、

宗教的でもある。

 

どの切り口でいくのか。

ビジョンからかー

 

どこをどのレベル感で目指すのかだな。

 

同じところでループする。

この一年。

 

方向性を大きくシフトしても、

自分の声を偽ることは出来ず、もがく。

 

モヤモヤする。

モヤモヤしてるのはおれの主人格。

ゆるいラフなやつ。

 

がっつりしてるおれは最近あまり出てこない。

ずっとゆるい。

 

恋愛してるおれはゆるいおれ。

ゆるいおれが好きになってる。

ゆるいおれは女々しく臆病だ。

 

それが出せる相手が見つかり、居心地が良い。

というか良すぎる。

 

誰もが自分に影を持つ。

多くの人はそれに無意識にフタをして気づいてない。

 

だからそれを出せる相手をいつも求めてる。

ありのままの自分を受け入れてくれる人を。

ありのままの自分、とは弱い自分を含めた自分だ。

 

おれはそれを受け入れるのか。

だから彼女はなんで泣いてるのかわからないのか。

全てを受け入れてくれることは、本当に安心出来る。

 

相手とそんな関係性を築ける人が増える。

それは幸せなこと。

 

幸せな人生を増やしたい。

幸せにはいろんな形やレベル感があるが、

 

全てを受け入れあえる関係性を築くことは全ての人にとって共通の願いだろう

 

それはなんだ?

研修か?

研修は固すぎる。

 

でも体験することが大事

 

どうすれば体験できる??

 

座学

ネットで学ぶ

体験する

 

この3つなのか。

 

気の合う仲間と好きなことをして生きる。

そうしたいな。

 

いまは組織に属していながら、組織に依存していない。

属さないということは孤独だ。

経営者が孤独と言われるのは、属しているようで属していないからだろうな。

 

今日はクソ天気が良い。

明日もいいのかな?

そうなら海にいこうかな。

 

誰かを愛するということは本当に難しい。

愛とは無条件に与えること

何が難しいかって、与えたからといって与えられるかわからない

というか、与えた対価として与えられることに期待してる時点で、愛せてないんだな

 

うん。

リアルにいこう。

形あるものをサービスにしよう。

 

段階と順番がある。

恋愛教育はどう足掻いても胡散臭い。

 

なら抱き合わせる。

なにと?

それを考える

 

とりあえず飯食う

 

 

 

 

 

 

 

飯食っても変わらず。

 

やらないことを決めればいいのか。

あるいは優先順位か。

やりたいことがありすぎて、思考が分散してるし、行動まで至らない。

それはそれとして受け入れる、まず。、

 

思考ぐるぐる堂々巡り。

環境を変えよう。

これも堂々巡りやが。