韓国人の友達に、フェミニストとはどういうものかをレクチャーしてもらう。
シンプルに言えば、性差別をなくしたい人のようだ。
その定義で言えば、おれがやりたいことは真逆である。
男はこういう傾向にある。
女はこういう傾向にある。
ということを明示し、その違いを認めた上で、お互いに歩み寄ろう、というものだからだ。
それはすなわち、男女の違いを顕著にするものであり、フェミニストの人がもつ姿勢とは真逆なのである。
だからおれはフェミニストではない。
ただし、おれは『結果として』そういった差別や違いのない社会をつくりたい。
男女の前に『人』である。
男性が多い社会では、女性は冷遇される。
ただ、女性が多い社会では、男性が冷遇される。
冷遇すること自体は、男女の問題ではなく、そのひと自身の『人として』の問題だ。
男性はこうあるべきだ。
女性はこうあるべきだ。
べき
という言葉には正しさがある。
言葉は、男性はこういう人が多い。
女性はこういう人が多い。
というふうに、個人を指し示す理論でなくてはならない。
スタンスはフラットに中立に。
べき、を主張する理論に、未来はなし。
言葉は、本当に大切なものだ。
こだわりすぎて損はない。