小さな星がほらひとつ

恋の述語の話

志を立てる
理念を持つ
ビジョンを描く
目標を立てる
計画を立てる

概念が主語の場合、適切な述語がある。

考えたのは「恋」に適した述語。

結論は、恋に落ちる。だ。

恋をする、ことも出来るが、恋に落ちる、が正しいと思う。

そう。
恋は、するものではなく、落ちるものなのだ。

愛を恋の上位概念とするならば、

恋をした相手を、愛することは難しいと感じる。

もしかすると、女性は、恋に落ちてなくて、恋をした相手にでも持てるのかもしれない。
それが言葉にすると「母性」なのかもしれない。
女性は生まれ持って、無償の愛を持てる器を有するのかもしれない。

おれには、無理だ。
恋に落ちていない女性と2人付き合ってみたが、心のどこかでは打算的な自分がいる。

ロジックで、自分をそうじゃないと納得させようとしている自分がいる。

恋をした相手を、おれは愛することが出来ていない。

男はきっと、恋に落ちた相手しか愛せない。

ただこの前提条件は、人生のパートナー選びに、一切妥協しないと決めている男

というものがある。

きっと妥協して、恋をした相手を愛し、結婚することは出来る。

でも、愛した女性に対し、恋に落ちることはきっとこの先もない。

それどころか、恋に落ちる瞬間は、人生で不可避なイベントだ。

その度に、パートナー選びのときに妥協した男は抗わなければならない。

おれには結婚した相手がいる、と。

じゃぁ、恋が落ちるものだとしたら、愛はなんなのか、

愛は、誓うものだ。
誓ったからには、抗う責任が男にはある。

でもそれは、想像するだけであまりにも辛いことである。
抗うことが出来ず、浮気をしてしまう男は少なくない。

その結果、去年は2.5秒に一組が離婚するという、驚異的な事実が生まれる。

でも、恋に落ちた相手であれば、おそらく人生の節目で、またその相手に、恋に落ちることがあるのではないだろうか。

じいちゃんばあちゃんになっても仲いい人たちってのは、たとえその出逢いがお見合いであったとしても、

恋をしたわけじゃなく、恋に落ちてたんじゃないだろうか。




恋をすることから始めた恋愛は、相手を恋に落とさないといけない。

落とさないといけないが、落ちるかどうかはコントロール外である。

だから、男は看板としての美と、内面の美を高め続けなければならない。

相手に、恋に落ちてもらう可能性を上げるために。