小さな星がほらひとつ

最後の一本を吸う話

ユニクロの黒のレギンスに、紺色のシャツを一枚だけ羽織って外に出る。

 
恋した女性に憧れて始めたタバコもちょうど最後の一本。
これでもう終わりにしよう。
 
風が心地いい夜。

 
 
 
 
 
 
 
朝起きてから、体調が悪かった。
酒の飲み過ぎかと思ったけど、そういう類の体調の悪さではない。
 
昼には頭が痛くて、寒気もしてきた。
吐き気も催す。
 
むちゃくちゃしんどくて、しんどくて、しんどさを隠せないほどに。
 
午後はほとんど思考が停止。
頭を働かせれば体調がもっと悪くなる感じがする。
 
何度も早退しようかと思ったけど、今日はどうしても帰れないわけがある。
 
そう。
 
おれは社長に会社を辞めることを伝えないといけない。
 
今日は早退して、明日電話すればいいやって何度も考えたけど、
 
落ち着いて、呼吸を整えて、自分の心の声を聞いたら、逃げたらアカンって言ってた。
 
だから、むちゃくちゃしんどかったけど、頑張ってデスクにただ座り続け、時間が経つのを待った。
 
そんなこんなで18時半を迎え、講義の終わった社長がオフィスに戻ってきて、社長室に呼ばれた。
 
すぐに入ろうかと思ったけど、
 
スーツに入っているペンや小銭が妙に気になって、出来るだけ身を軽くした。
別に深い意味はない。
 
部屋に入り、座るよう促され、さっそく本題を伝えた。
 
正直すぎるおれの性格は、こういうときに言葉を選ぶことが出来ない。
だから言葉は事前に用意しない。
 
そして出てきた言葉は、
 
「犬の世話がしたいので大阪に帰ります。なので、会社も辞めて、新しい環境で挑戦しようと思います。」
 
だった。
 
社長はそんなおれに対して、
 
「わかった。
幸介なら出来る。
幸介は選ばれたこの会社の一員だから。
また元気な姿を見せてくれ。」
 
と、辞める理由に一切言及することなく、そう言ってくれた。
 
素直に、安心した。
 
表情はとても残念そう。
怒りではない。
悲しみを含む、残念そうな表情。
そんな感じか。
 
でも半年前と違い、おれの魂を歓喜させる場所はここではないという確信があったからか、
 
もう引き止められることはなかった。
おれももうその表情には後ろ髪は引かれず、社長の言葉を噛み締める。
 
時間にするとたった1分。
でもおれの人生で、絶対忘れられない時間になると思う。
 
その後はさっきまでの体調不良が、文字どおり嘘のようになくなり、
 
心と身体が軽くなった。
 
 
 
 
 
 
社会を変革すると息巻いて入った会社。
想いをもって、選んで入った会社。
 
会社に対してもそうやけど、おれは自分が捉えている以上に、社長との人間関係を大切にしてたんやと気づいた。
 
頭は意味付けすることで嘘をつけても、心と身体は嘘をつけない。
こんなに一時的に体調を崩したことはない。
 
 
改めて今確信を持っていることは、
 
おれは今でも社長を心から尊敬しているということ。
 
そして、社会に出て初めて入った会社がここで良かったということ。
 
間違いなく、新入社員が入社して、多くの葛藤を抱える会社である。
それはほんまに、日本有数の葛藤の質と量である。笑
 
楽しかったこと、大変やったこと、
振り返れば大変やったことの方が遥かに多い。
 
それでも、
 
いや、それだからこそ、
 
人生を自分の足で生きていく術を教わった。
 
ただただ、ほんまにありがたく、意味付けせずとも感謝しかない。
 
 
 
 
 
 
最後の一本を吸い終わる。
 
自分の中のいろんな物事が引き潮のように去っていく。
 
仕事も。恋も。
 
出逢いがあればそのぶん別れがある。
別れの分だけ、また新たな出逢いがあるだろう。
 
人生は自分にしか責任を取れないが、自分で責任をとる覚悟があるなら、人生はどこまでも自由だ。
 
ふとそんなことを思う。
 
今日は風が心地いい、春の夜。
今の気分はこれ。