小さな星がほらひとつ

ナンパではないという話

スタンダール先生は著書である恋愛論の中でこう説く。
恋の発生は「感嘆」である、と。

感嘆とは、感心してほめること、だそう。






最近、自分の好きなものと、自分の嫌いなもの。この2つに対して、意味付けすることなく、心の向くままに考えている

なにを求めていて、逆になにを求めていないのか、だ。

そうすると自分が「〜で、いい」という言葉を体内外で使いまくってることに気づいた。

例えば今日みたいなテンション低いときは、元気出すために腹一杯飯を食う、というのはおれの習慣の1つやけど、

浜屋につけ麺食いに行こうか、ステーキ亭にステーキ食いに行こうか、悩む。

判断基準は、味、量、栄養素、距離、価格、なんかをそのときの気分に合わせて総合的に判断するわけやけど、

今日は正直どっちでもいいなと、

頭では思ってるわけ。

で、今日は結局、五反田の駅超えてまでステーキ食いに行くのはだるいなー、て考えて、

まぁ近いし浜屋でいいか、と思っていま浜屋でつけ麺出てくるのを待ってるわけやねんけど、

ここやね、出てるのは。
浜屋、で、いいか。」笑

これね、どうでも良さそうなことほど出る。
あと一人で完結できることとか。

おれは、

おれの人生から、で、いい。をなくしていきたいと思った。

で、いい。じゃなく、
が、いい。の人生にしたいと思う。
たぶん、ガクトはほとんど、が、いいって判断基準を持ってるんやろな。

人のことはさておき、自分のことについては細かいことにも、が、いい。と言い切れる判断基準を持ちたいものである。






つけ麺がきた。
こういう日のつけ麺は大盛りに限る。

手を合わせ、心の中でしっかりといただきます、をする。
東京に来てから始めたルーティンだ。

ささっとつけ汁につけて食うと、やっぱり浜屋は美味い。

こっちで正解やったなぁー
とか思いながら食ってると、

隣に座った女性にもつけ麺がきた。
その人はしっかりと、いただきます、と言ってから食べ始めた。

ぼくは、その行為を大事にする価値観に、その慣れた所作に、感嘆する。

きっとあなたは優しい価値観の持ち主で、休みの日にはきっと好き好んで東野圭吾さんの小説なんかを読んでいるんだろうと想像する。

小説を読んで、お互いの感想をシェアし合うのは、ぼくの理想のイメージの1つだ。

また浜屋で会うことがあれば、声をかけてみよう。
なんでその行為を大切にするようになったのかを聞いてみたいと思った。

でもそういうおれの行為をみぎすけはナンパだという。

確かに、グーグル先生いわく、ナンパは、面識ない者に対して、公共の場で会話、出会い、デート、キス、連絡先交換に誘う行為。とあるから、

社会的に見ればおれの行為も例に漏れず
、ナンパなのだろう。

ただいかんせん、ナンパという言葉よりも、おれの場合はもっと純粋な、清い動機のつもりなんや。笑

わかるか?

これはナンパという言葉が持つイメージが悪すぎるのと、ナンパという言葉の定義が広すぎるのがよくないわな。

新しい言葉を、おれみたいな男のために流行らせたいと思った。

まぁとにかくだ!
自分が女性に感嘆する瞬間てのは、27年も生きてると決して多くはない。

多くないからこそ、その自分が感じた感嘆を大切にしたいというのは、当たり前の感情なのではないだろうか。

少なくともおれは、そう在りたいと思う。

幸介、ナンパで人としての在り方を語ってしまいました。
そんな自分も嫌いじゃない。

あなたが異性に感嘆するのはどんなときですか?
願わくば、あなたがその感嘆を大切にしてくれますように。