小さな星がほらひとつ

自分の心があるところでしか卓越することは出来ないという話

こないだ部署の飲み会があって、そこで恋愛談義をしていたら、吉田さんに、恋愛講座開けば人来ますよ、と言われた。

確かに、もしお客さん来たら、満足つくる自信があるね。笑


今日は結局ね、人間、自分の心があることでしか卓越出来ひんって話なんやけど、

おれは小5から高3までバスケをしてきて、プロになりたいと思ってた時期もあったけど、どう足掻いても才能なかったわな。
バスケの才能というより、身体が弱く、身体能力自体が低い。

身体能力というのは悲しいかな、先天的な遺伝が占める割合が大きい。
生まれながらに上限が決まってるとも言えるやろな。

じゃぁ後天的に身につけるものならなんでも出来るかっていうと、これがまたそうでもないんやなぁと最近は思う。

例えば不動産投資して儲ける人がおって、それはおれに出来ひんかというと、やろうと思えば間違いなく出来る領域やろ。

必要な知識入れて、元手貯めて、トライアンドエラーしながら投資していけば増やせることは増やせるやろ。
知識もないけど、出来ることはわかる。それはおれでなくても誰でも。

でもおれは不動産投資するかっていうと、出来ひんのやなくてやらんわな。

単なる金儲けとか、
人の顔が見えへん仕事とか、
自分のアイデアが活かされへん仕事とか、

出来るけどやらんねん。
そこに心がないから。

やりたくないと心が思ってても、人間は自分の心をごまかして、無理矢理、そこに心があるようにすることが出来る。

おれはその行為を意味付けと呼ぶけども、いま思うことは、意味付けせなあかんような仕事であれば、自分の命そのものである時間をそこに投資するに値しないやろうと。そう思う。

だからやりたいことやれよ、とか、そんな無責任なことが言いたい訳じゃなく、むしろ意味付けしてその対価として賃金や安心を得られるのであれば、そういう生き方のほうが性に合ってる人もおるし、そういう人はそれが幸せやろ。

でもおれは違う。
おれにはその生き方は性に合わん。
合わんから時折、オフィスから飛び出して大声で叫びたくなる。笑

おれはおれにしか出来ひんことで卓越したいんや。

『男子は生涯一事を成せば足る』

おれの好きな言葉のひとつ。

だからおれは、意味付けしてまでする仕事に価値を見出すことは、もうできん。
心がないことは出来ひんのや。

じゃぁなにするかっていうと、結局、特別なことなんか出来ひんねん。

自分が親と、天から与えられた才能が誰にでもある。
言い換えると、人に止められてでも続けるものがあるやろ。

おれであれば、
焼肉
つけ麺
マンガ
男女関係
人生
アホな企画
小説
教育

あたりについては、誰に言われるでもなく、興味関心があるわな。
これらは先天的な持って生まれたものの中で、おれが後天的に好きになってきたものや。

シンプルに言うと、好きやし、自分の心がそこには常にある。

結局、人は、自分の心がある分野でしか卓越することは出来ひんねやろな。
と強く思う。

だから社長が人材教育で卓越してるのは、一言で言うならば好きで、そこに心があるからや。

成功する人はなにやっても成功するゆーけど、それは心を置いた、在り方とビジネスのやり方の話やと思う。

大事なことは心がどこにあるのか。
それは他人と比較するものではない。

幸介、お前の心のど真ん中はどこにある?
おれは、おれにしかつくることのできない価値を生み出したい。

人間は必ず、あるはずやねん。
先天的ではなく、後天的に身につけられる強みが、絶対あるはずやねん。

思わず声を大にしてしまうような、熱弁してしまうような、熱中してしまうような、そういう類のものがきっとあるはずやねん。

おれはそこで勝負する。
自分の心がある場所で。
志高くいくで。
卓越した人生を歩むで。

まだまだおれは27歳。
おれが20歳の時に旅先のタイで出逢ったノイは30歳から英語の勉強始めて先生を目指してた。

あれからもう7年。
彼女はきっと、いや、間違いなく英語の先生になってるはずや。

心があるところに、その人の人生がある。

諦めなければ願いは叶う。

おれはまだまだ伸びる。