小さな星がほらひとつ

泣いた話

愛のむきだし、という映画を観た。
4時間くらいある長い映画だ。

おもしろかったし、ラストで泣けた。

泣けたからいい映画なのかと聞かれると、泣けることといい映画なことはまた別の話な気もするが、確かに感情は揺さぶられたのだろう。

愛とはなんだ?
愛するとはなんだ?

好き、愛する、想いやる、優しさ、性欲、

このへんの感情や行為をうまく自分の中で分類することができない。

でもできないことが悪いとも思ってないし、むしろそっちのほうが人として自然な気もする。

まぁでも、『愛』という言葉に限定するのであれば愛をむき出せる対象が、人でも仕事でもなんでもいいかあるというのは、それだけで幸せなことやと思う。


後付けながら、このタイトルだけで考えさせられる言葉やなぁ。

じゃぁ、ランニングしてくるよ!
ランニングにもいつか、愛をむき出せますように!
使い方間違ってそう!笑


あと、おれはいつも映画とか小説読んだ後に、書評とか調べて読むのが好きなんやけど、なんか言いたいこと諸々をクリティカルに代弁してくれてる人がいた。

勝手に、価値観が近いだろうと想像する。





ランニング中に考えた。
『好き』と『愛』の関係性について。

結論、愛は、好きの上位概念だと思った。
多くのパターンは、まず好きになって、愛に変わっていくのだろう。

上位概念やから、好きの中に愛は含まれないが、愛の中に好きは含まれている、気がする。

ただ、好きを介さない愛も存在するのだろう。
親子愛はその代表格か。

人や物に対して一目惚れするとはつまり、好きを介さずに愛してしまうことなのではないだろうか。
いや、一瞬で愛まで昇華してしまうと表現したほうが正しいか。

そうだな。
愛のむきだし、の映画の中で描かれているのは、どちらかというと、好きのむきだし。

愛とは無償のものであり、
愛とは自己犠牲の精神である。

これがどこから取ってきた定義かはわからんけど、確かにしっくりくるし、映画の中でも主人公だけは最初から最後まで、愛をむきだしてたんじゃないかと思う。