小さな星がほらひとつ

続・一筆に込めた想いの話

昼間、中瀬ん家にいってみた。

 

マンションのエントランスにある部屋番号で、まだここに住んでることを確認してから、

 

近くのケーキ屋さんに手土産を買いに行く。

 

平日の真昼間ではあったが、どこか嫌がられることはないだろうという確信があった。

 

 

 

 

 

 

しかし、チャイムを押すも残念ながら不在のようで、

 

せっかく来たから手紙を残して、玄関ポストに入れておいた。

 

あいさつ

自己紹介

ここにきた経緯

差し支えなければまた来たいから

連絡がほしい

 

という旨を書いた手紙を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、知らない番号から電話がかかってきたから出てみると、

 

中瀬のおかあさんやった。

 

『中瀬です。』

 

という最初の一言に、

 

自分が昼間行ったことを忘れてたのか、

当日に電話がくるとは思ってなかったのか、

 

いずれにせよ、少しビックリした。

 

手紙に書いた話は伝わってるようだ。

 

おかあさんはあいつのことを『あの子』と呼び、

 

おれはあの子のことを『あいつ』と呼んだ。

 

げんきですか?

お仕事はなにしてるんですか?

 

なんてお互い顔もわからない関係性ではあるものの、今はもうこの世にいないあいつを通じて当たり障りのない会話をする。

 

コロナの影響でしばらく墓参りには行けてないそうだ。

 

とはいえ、おかあさんいわく、

 

お父さんは神道やけど、私は仏教だから、

 

あの子は仏教的には浄土に行ってるから安心してる、と言っていた。

 

なるほど。

信心深い人でそれは救われたやろなぁ、なんてことを何気なく考えてたら、

 

電話を切る間際、

 

『やっとあれから10年経って、落ち着いて考えられるようになってきた。』と言っていた。

 

きっと、わからんけど、

 

おかさん、べつに信心深かったわけじゃないんちゃうやろか。

 

18歳まで手塩にかけて育ててきた大切な我が子を、

 

『あの子には自由にさせてきたんです。』

と、まるで今もまだ生きているかのように話す我が子を、

 

事故で亡くしたとてつもなく大きな、大きな心の穴を埋まるためには、

 

10年という歳月だけでなく、

きっと死んだあとも幸せになってほしいという願いを自分の中で形にするために

 

『浄土』という死後の世界がある仏教に対して自ら信心深くなったのではないかと

 

なんとなく勝手に想像した。

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁでも、喜んでくれてよかったと思う。

 

『いつまでもあの子を忘れないでくれてありがとう』と言われた。

 

いえいえ、こちらこそ。

丁寧に連絡くれてありがとうございました。

 

でも単純にあいつがいいやつだったから忘れてないだけですよ、おかあさん。

 

正直、仏教の教えについてはあんまりわかってないんですけど、

 

でもきっと『浄土』はいいところですよ。

 

たぶん、空が広くてどこまでも続いてそうな海沿いの道を、

 

満足いくまでバイクで走れるし、

 

サービスエリアとか道の駅とか、

 

地域の名産品が好きなタイミングで、

 

しかも無料で食べれるような、

 

そんなあいつの好きそうな世界なんだと、

 

そう、ぼくは思いますよ。

 

おかあさんもいつか浄土に行って、ニケツでツーリングを楽しめますように。

 

星に願いを。

浄土に想いを馳せて。