小さな星がほらひとつ

一筆に込めた想いの話

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毎日一緒に高校に通ってた友達が、

大学のときバイク事故で死んだ。

 

そんな友達の葬式が終わったあとの、

お礼のハガキを、

掃除してたら見つけた。

 

そういえば、

ふくやんと行く行く言って、

もう何年も墓参りに行けてない。

毎年かかさず行ってたのになぁ。

 

いや、行けてないのではなく、

行ってないんや。

 

お互い、人生が忙しくなって、

おれも東京に行き、

その慣習は途切れてしまったけど、

やっぱり行ってやりたいと思う。

 

人生はいままで出会ったすべての出会いと出来事で出来ている。

 

もうこの世にいないあいつに

なにもできることはないけど、

 

それでも生きてる間に

あいつの存在を忘れないことが

大事な気がするのは、

 

きっとおれが無意識に

神道であり仏教徒でもあるのだろうと

感じさせる。

 

おかあさんはどんな気持ちで宛名を書いたんだろう。

 

何枚も何枚も、きっとハガキの宛名を書いたにしては、

 

あまり字は流れることもなく、

一筆一筆がしっかりしている気がした。

 

きっと、50日かけて、

辛く、苦しみ、

絶望に苛まれながらも、

なんとか前を向こうとしたに違いない。

 

そうでなければ

こんなお礼のハガキなんて出せないだろうし、

出せたとしても字は流れるはずだ。

 

長い時間を越えて、

そんな、きっと想いが込もった

このハガキ一枚が、

あなたの息子との記憶を

ぼくに呼び起こさせてくれました。

 

いつも飄々として憎めず、

ヤンキーっぽいのに誰にでも優しくできる

とてもいいやつでしたよ。

ほんとに。

 

家も近くて、

もし生きてたら今もたまに

飲みに行ってたやろうなと思う。

 

どうか、

この世に残されたお母さんが、

いま前を向いて生きていますように。

 

まだここに、

ご両親はお住まいなんだろうか。

 

ふと思う。

チャリですぐに行ける距離。

体調が落ち着いたら、家に行ってみよう。

 

墓参りではなく、

仏壇に手を合わせにいこう。

 

ご両親とは面識がないけど、

きっと受け入れてもらえる気がする。

 

また偽善者だと言われるのかもしれん笑

 

でもおれは少なくとも

こうやって世界は回るし、

回していかなければならないとも思う。

 

目の前にいる誰かを助けたり、

喜ばせたりすることに、

理由も見返りも必要ない。

 

意味もない。

でもなんとなく、そういうことするのが

そういうことを大切に扱うことが

おれらしい生き方だと思う。

 

もっと優しく在りたい。

そのためにもっと強く在りたい。

 

これまでもこれからも

そう願う。