小さな星がほらひとつ

濃い記憶の話

久しぶりに赤坂さんに会った。

 

変わらず元気そうでよかった。

 

21のときかな。

ふたりでヨーロッパを旅行した。

 

ベネチアでサンタのシールを窓に貼ってるお店に入ったら

 

パスタ一皿で3万もぼったくられたのはいい思い出。

 

そんなベネチアも世界の水位が上がって水没してるそうな。

 

ランニングシューズを履いて、まだ薄暗い、朝日が昇る前の街をひとりで探検した記憶が蘇る。

 

大阪とは違うジャンルの怪しい人がいっぱいおって怖かったけど

 

よくわからん小道とか歩きまくって、大きな橋から見た朝日はすごくきれいやった。

 

そーゆーのも含めて刺激的やった。

 

学生の時に、アジアと、ヨーロッパと11カ国ぐらい行ったやろうか。

 

若い時に見た世界は、どこをどう切り取っても刺激に溢れてて

 

行く先行く先でおれを興奮させてくれた。

 

たぶん、いま行ってもそんな刺激はもうきっとない。

 

あのとき、あの歳で、

 

世界のせのじも知らなかったからこその刺激やったと思う。

 

赤坂さんとしゃべってて、ちょっとだけ昔話もして、

 

自分の中にそのときの記憶が色濃く残っていることを知った。

 

未来といまとを必死に生きてるおれにとっては、

 

引き出せるというだけで過去の濃い記憶に当たる。

 

あの旅はよかった。

見るもの、出会う人、新しい世界。

 

そのすべてが「きれい」やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年の、今起きている出来事はきっと

 

未来のおれにとって濃い記憶になるだろうと思う。

 

はじめて出かけた河川敷で雲と飛行機を見ながらぼーっとしたことや、

 

たまたま選んだ小説が、たまたま同じような境遇だったことや、

 

クリスマスっぽくないクリスマスで、最高に美味いタンシチューを食べたことや、

 

プレゼントしたピアスをでかけるときにいつもつけてくれてたことや、

 

シャワーをかけると号泣して、どうしたらいいかわからなかったことや、

 

空調の音だけの静かな部屋の中でじっと顔を見つめたことや、

 

目を上にある傷痕にやさしく触れたことや、

 

帰ったら一眼のカメラで鏡ごしに自撮りしてたことや、

 

彼女の居心地いい空間を守るためにいろいろルールを守るようにがんばることや、

 

ふすまをピッタリ閉めれるようになったことや、

 

色あせたバラを買って帰ったら喜んでくれたことや、

 

かばんとお手紙をくれたことや、

 

かえってただいまって言ったら、顔をみておかえりって言ってくれたことや、

 

不安定になって泣いていた横顔や、

 

したくもないのに付き合ってくれてたテレビ電話や、

 

超まじめでボケたりできひんクセに、たまーーーーーに子供相手にだけちょけることや、

 

アンパンマンのおもちゃを家に置くことをむちゃくちゃ嫌がってたことや、

 

自分の好きな本をあげて丁寧に読む姿や、

 

親子でおんなじ色の服を着てることや、

 

洗濯物の干しかたで40点しかくれへんかったことや、

 

肉の焼きかたにダメ出しされたことや、

 

大好きって言い合ってること、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

挙げればキリがないし、

 

特別なことは何ひとつないんやけども、

 

そんな何気ないひとつひとつが、旅みたいな刺激がなかったとしても、

 

きっとおれの中に濃い記憶として残っていくんだろうと想像する。

 

そのひとつひとつを写真を撮りたいと、

 

思い出を、記憶だけでなく記録にも残したいと思ったのは生まれてはじめてで、

 

毎年、毎月、毎週、毎日、

 

すこしずつ、すこーーーーしずつ、

 

変化していく彼女を、

 

彼女の大切な人やものを含めて、

 

おれは写真に残していこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

でもべつにそれは、いつか見るために、とかではない。

 

ただ単にきれいなものを撮りたいだけ。

 

彼女は、旅を含めておれが見てきた何よりもきれいだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

若いときはもっと人生に刺激を求めてたけど、31歳になって、彼女に出会って、

 

幸せな形はすこしずつ変わりつつある。

 

なにげない日常に幸せを感じるのは同じやけど、それがどんどん具体的になっていく。

 

いまなら晩年の画家たちの気持ちがわかる気がする。