小さな星がほらひとつ

社会不適合な話

わかってたことやけど、

改めて社会不適合やと思う。

 

みんなが笑えてることに笑えなかったり、

どういう反応するのが正解なのか、

この歳になってもいまだに困る。

 

その場にいて、おれだけが一人だけ浮いているような感覚。

 

この感覚はなにも今に始まったことじゃない。

物心ついたときから、自分だけがその場にいたらダメなような感覚に陥る。

おれのことをよくわかっていない人は、

おれのことを人見知りじゃないと言う。

でもおれはやっぱり人見知りで、

新しい人は苦手だ。

 

新しい人が苦手だから、

そういう自分が恥ずかしいから、

人見知りの気持ちがよくわかるから、

人見知りじゃないフリをしてる。

 

うまく社会に適合できなくて、

いや、社会にうまく適合できないひとはもっといるよ?引きこもりとかな。

それはわかった上で書いてるけど、社会不適合もピンキリやねん。そんな際の話をしてるんやなくて、おれはおれで、大きく分けたら社会不適合に絶対入ってるってだけの話。

 

だからおれは社会に適合できないけど、社会にある程度適応してる自分をきれいに演じてる。

 

それが正しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

基本的に、人との距離でいまだに悩む。

昔から距離を置いて接するんやけど、

それはそれであかんなぁと思うときもあって、

距離を一気につめたらそれはそれで嫌われたりして、

そういう数百の人間関係の中でちょうどいい距離感を見出したのがいまのおれだ。

 

いまのおれは、自分のペースで距離は詰めない。

相手がどれくらい距離を置く人なのか、

相手がどれくらいの早さで距離を詰めたいのか、

 

そういうことを自然に。

ごくごく生活の一部として自然に行なっている。

でもそれはそもそも、自然なおれか?

 

ちがう。

今回はじめてわかった。

それはたしかに無意識ではあるものの、

何度も何度も人に合わせて行くことで培ってきた無意識。

嫌いじゃないけど好きでもなくて、

それが生きるのに必要やったから培った力。

 

常々思うけど、

変な気を遣わんでいい人とだけ生きていきたい。

とにかく無理だ。損得勘定の人はダメだ。

魂が汚れる。ほんとに。