小さな星がほらひとつ

はなちゃんが死んだ話

いとこの家で飼ってるダックスのはなちゃんが今朝死んだ。

 

いつも正月にミッキーを吠え立ててた元気な女の子やったのになぁ。

 

夜、顔を見に行ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

社会に出たばかりのいとこのななちゃんが目を晴らして泣いてた。

 

不謹慎なのかもしれんけど、いい顔をしてた。

 

こないだまでゆるーーーいやさしーーーい顔してた子が、

 

凛々しい顔して泣いてた。

 

わかるよ。

すごいわかる。

辛いよな。犬の死って。

生い立ちを一緒に育ってきた犬の死って、ほんまに辛いよなぁ。

 

強くなれ。

強く、生きろ。

 

人は流した涙の分だけ強くなれる。

強くなろうと願いさえすれば。

 

明後日に葬儀を予定してるみたいで、

 

会社あるから行かれへんゆーから、

 

『絶対いっておいで。会社なんかどうにでもなるし、行かな絶対後悔するから。』

 

て伝えてあげた。

 

人に『絶対』なんて言葉を正しさの塊みたいな言葉を使わんおれが、

 

久しぶりに使った絶対。

 

行くかどうかは彼女の選択やけど、

 

行った方がいいと思うし、会社なんてクソみたいなルールを破って、

 

自分の大切なものを大切にする勇気をもってほしいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

今回、死に対して新しくわかったことがある。

 

おれはもう死に対してあまり動じない。

それは死の刹那、一緒の空間にいないからかもしれないが、今日は動じなかった。

 

でもおれが死に対して動じないのと、その場での立ち振る舞いは違う。

 

彼女は今日あの場にいた中で、もっとも悲しみの淵にいた。

 

死に目に立ち会う時は、もっとも悲しみの淵にいる人の、

 

感情

状態

テンション

声のトーン

話す内容

会話の数

 

など、コミュニケーションの全てを合わせてあげるのが正しい。

 

彼女の姿は、ミッキーの死に目に立ち会えずに泣けくれた、かつてのおれの姿に被る。

 

もう少し合わせてあげればよかったな、と反省する。

 

次に大切な誰かの、大切な人の死に目に立ち会う時には強く意識してみようと思う。

 

たぶんそのスタンスは死に目に立ち会うときの基本スタンスになると思う。

 

年齢に関わらず、おれはそうすることが正解だと確信してるし、

 

たぶんこれからもそれが変わらない確信がある。

 

強くなれ。

強くなれ。

 

犬のために流せる涙を持つ君は美しい。

 

強く生きよう。

強く、強く。