小さな星がほらひとつ

あいみょんの話

あいみょん、クリープハイプ尾崎世界観と自宅愛 (SmartFLASH) - LINE NEWS https://lin.ee/eTbBcY?utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=talk

 

 

 

 

 

まず断じて言うが、おれはストーカーの類ではない。

そこまで落ちぶれてもいないし、そこまでなにかひとつの人やものに依存することもない。

その前提で話をすすめさせてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

おれはあいみょんの「顔」が世界でいちばん好きや。

それは前にも書いた。

 

友達にそれを話したら

 

「あんな豚ヅラの魚顔のどこがいいん?」

 

と恐れおののかれたが、

 

おれはいかんせん本気である。

 

おれは誰がなんと言おうと、友達のいうところの「豚ヅラの魚顔」が大好きなのである。

 

 

 

 

 

 

 

そんなところに仲間から冒頭の記事が送られてきて

 

素直に、少なからずショックを受けてる自分がいることに初めて気付く。

 

人間っておもしろい。

 

おれからすればあいみょんって存在は、会ったこともなければ、楽曲もほぼ知らない。

 

ふだんテレビを見ない中でたまたま見た、ど真ん中ドンピシャの顔なだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただそれだけ。

人生でなんの接点もないにも関わらず、

おれは少なからずショックを受けている。

 

それはつまり、おれがあいみょんという女性に対して、女性として好意を持っていたという事実に他ならない。

 

実際に会ったこともない彼女に対して、だ。

 

これはおれが性別が「男だから」成し得ることなんだろうか。

 

あるいは女性であっても好きなバンドのボーカルやメンバーが、特定の彼女を作ったり結婚したりすると

 

おれと同じくショックを受けるものなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

恋愛研究家という道は険しく、

 

いつだって研究の発端は自分発信だ。

 

今回のテーマは

 

「芸能人に恋してしまったときの向き合い方」についてだろう。

 

鶴太郎師匠一筋のおれが、

 

30歳にもなったおれが、

 

まさか顔がドンピシャタイプってだけで

 

会ったこともない女性を好きになっていたとは。

 

我ながら若いと思うし、

 

恋とはそういうもんだと改めて思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

人はいくつになっても、

 

結婚してても子供がいたとしても、

 

恋に「落ちる」もんや。

 

恋はするもんじゃない。

落ちるもんや。

 

おれはだから今回、おれも知らんうちに恋に落ちて、気づけば振られてるっていう、

 

ピエロみたいな恋を経験したわけよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おい。

この文章に触れてるお前。

 

おれみたいなピエロの恋を経験したことはあるか?

 

クラブに行くようなイキッてる男女は、おれのことを女々しいと攻め立てるかもしれん。

 

でもおれは胸を張っていう!

 

おれは、あいみょんに恋した!と!

 

正しくは彼女の魅力に、勝手に恋に落ちていた!と!

 

恋に落ちることは恥ずかしいことじゃない。

 

短く、意味のない人生を豊かにする、ほんとうにほんとうに大事なことだとおれは思う。

 

心の底から。

 

 

 

 

 

 

 

願わくば、あいみょんさんが死ぬまでの間、毎日幸せを感じていますように。

 

おれは、おれの愛の矛先が、

 

会ったこともないような女性にも向けられることを知って

 

また一つ自分を知る。

おれは愛情深いよなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

話、全然違うけど、

 

おれが40歳くらいになったら、大阪で孤児院をしようと思う。

 

何人かに話すと「なんで??」て言われるんやけど、

 

なんつーか。

 

一日一日、どんどん素直になっていく。

 

道に迷ってる外国人とか就活生がいたら、道を教えてやりたいし、

 

友達が悩んでたら、一緒に悩んであげたいし、

 

ばーちゃんが病院で寂しそうなら、何度も通って励ましてあげたい。

一人じゃないよって。

 

嬉しい人には嬉しさを

悲しい人には悲しみを

同じ感覚でシンクロしたい

それはいつもだいたい思ってる

 

 

 

 

 

でさ!

なんか、先入観とか全部捨てて、ほんまに素直に生きてたら思うんよ

 

 

 

 

 

 

 

「なんだかんだ頼れる親」 

 

 

「なんだかんだ帰る場所」

 

がないことがどれだけ辛いかって。

 

おれは当たり前のように親に愛されて

 

当たり前のように教育受けて育ってきたけど、

 

まだまだこの豊かな日本という国でさえ、それがままならない子供が山ほどいる。

 

きれいなところだけに目を向けず

 

そういうところにも目を向けると、

 

なんか自分の人生の中でできる範囲だけでいいから、

 

力になってやりてーなー

 

てふつうに思う。

 

ほんまに勘違いしてほしくないのは

 

人目とか、見てくれとかどうでもいい。

 

偽善者でもないし、無理してるわけでもなくて、

 

30歳のおれはごくごく自然にそれを感じてる。

 

 

 

 

 

 

 

ここまで書いていつも通り、

 

自分でも何の話やねん!!!

 

ておもてるけど、

 

最近アウトプットしてへんかったから、出したいことに溢れとる。

 

アウトプットしてみて初めてそれに気づくおれは、まだまだ未熟やなぁとも思うし。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

何の話や、

 

そうそう。

 

あと10年して孤児院をしようと思う。

 

おれの命に価値なんてない。

同時に、親がおらんからって命に価値があるわけでもない。

 

でも、人間は動物とちごて考える頭があるでしょ

 

感じる心があるでしょ。

 

だから犬とか花も好きやで?

 

でもそれより前に、人間やろって思う。

 

おれのロジック、変かなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁだから、おれの命は自分の贅沢になんて使わなくていいし、使う気もない。

 

きっとそんな生き方はほとんどの女性に共感されないことはわかってる。

 

だからこじらせてる。

 

でもそれがおれやからしゃーないやーん

 

孤児院をして、身寄りのない子供達に帰る場所をつくろうと思う。

 

みときやー

サラッと作ってる思うでー

 

 

 

 

 

そう。だからさ、

 

あいみょんみたいな豚ヅラの魚顔で、かつ、あれくらい愛に溢れた表情を持つ人に出会えますように。

 

尾崎世界観さん、顔を歪めまで表現する世界観さんの世界観はぼくも好きです。

※ややこしいから改名せーや

 

栞以外の曲は知らないけど

 

あの世界観はきっとあいみょんの度肝を抜いたことでしょう

 

どうか二人がこの先も、今日も、今この瞬間もぜんぶ幸せでありますように。

 

もし生まれ変わってまた1988年に生まれたなら、どうかオカンよ。

 

おれの名前は高橋世界観にしてくれ。

 

へい!

ワッツアップ!

 

おやすみ世界。

おはよう明日。