小さな星がほらひとつ

リストカットの話

小説とか読んでるとたまにリストカットする少女の描写とか出てくんのね。

 

親からも愛されなくて、学校でもイジメられて、

 

どこにも居場所がなかったりして、

 

自分の命がある実感をどうにかして感じたくて、リストカットする。

 

 

 

 

 

 

 

とまぁ、だいたいそんな設定が多いんだわ。

 

おれはありがたいことに両親にも友達にも恵まれてここまできたけど、

 

自分がその少女と同じ状況になってたかもしれないといつと想像する。

 

想像で終わらせるのはあんま好きじゃなくて、タイミング見てリストカットもしてみようと思ってる。

 

冗談じゃなく、ガチで。

 

いや、傷の深さをガチで、じゃなくてやで、

リストカットという行為をしてみたいと思ってる。

 

それはもしかしたらこの先、友達がそういう過去を話してくれるかもしれんし、自分の娘がなんかしらの機会にするかもしれん。

 

そーゆーときに想像の中の「わかるよ」じゃなくて、体験したことのある「わかるよ」を言いたい。

 

まったくおんなじ言葉。

 

でもきっと、相手に伝わるものは次元が違うと考えてる。

言葉は、その言葉自体よりも、その出所こそが大事だ。

 

だからリストカットだってなんだって、人に迷惑をかけないことならなんだってやってみたい。

 

そう。

おれは極端な経験主義者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっき友達とラインしてて、なんかの流れでその話になって、

 

「リストカットしてみたいんよな。」

 

て言うと、

 

その理由も聞かずにサイコパスの烙印を押され、

 

「それだけはやめときな。生きる意味を見出すのに身体を傷つける必要なんてないから。」

 

と、おれが小説の少女のような扱いをされた。

 

 

 

 

 

 

 

おれがほんまにリストカットをしてる人間なら、

 

その言葉は毒にしかならんと思うよ。

 

 

 

 

 

 

あなた目線での正しさなんていらない。

 

私は私が生きてる実感を持ちたいだけ。

私は私がここに存在してる意味を見出したいだけ。

 

リスカしてるときだけは自分が自分でいられる。

 

生きてるんだって。

ここにいるんだってわかる。

 

前も、後ろも、右も左もない。

どこに進んでも暗闇しかない。

人生に光が射したことなんて一度もない。

 

私なんて生まれてこなけりゃよかったのに。

私なんて生まれてこなけりゃよかったのに。

生まれてこなけりゃ、こんな辛い思いなんてしなくて済んだのに。

 

でも死ぬ勇気もない。

怖がりで臆病なわたし。

でも生きるのも怖い。

毎日孤独で寂しい。

 

誰かわたしを見て。

誰かわたしを見て。

誰かわたしを見て。

誰かわたしを見て。

誰かわたしを。

 

わたしがいなくても世界はなにも変わらない。

わたしがいなくてもだれも悲しまない。

 

わたしはなに?

わたしはなぜ生まれてきたの?

 

考えてもわからないし

だれも教えてくれない。

 

わたしは知りたいだけ。

なんのためにわたしが生まれてきたのか。

もしそこに意味があるとするなら、わたしは知りたい。

 

あなたの正しさを押し付けないで。

家族がいて、友達がいて、そんなふつうに生きることができてるあなたになにがわかるというの。

 

私は私が生きてる実感を持ちたいだけ。

私は私がここに存在してる意味を見出したいだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな人生がたまたま自分に起きなかっただけ。

人生ほんとに辛いときって

 

「大丈夫だよ」

 

って言葉すらも重く感じるときだってあるから。

 

大切なことは自分の正しさを押し付けることなんかじゃない。

 

とにかく深い愛情をもって

ただただ側にいてあげること。

 

人は言葉を発さなくても、存在するだけで影響がある。

「変わらない存在」というのは安心できるんだよ。

犬でも猫でも祖父母でも。

 

人が人に対して唯一安心できるのは

変わらない愛情を注いでくれると

確信できる人だけなんだよ。

 

 

 

 

 

だから

大丈夫だよ

と言葉にするのではなく、

 

大丈夫だよ

と思いながら側にいてあげること。

 

もしリストカットしてるひとと会うことがあれば、

おれならそうしてみるんじゃないかなーと思う。

 

 

 

 

 

 

 

リストカットはだからやっぱりタイミングを見てしてみるつもり。

 

たとえサイコパスと罵られようとも、

おれはおれの基準で、もっと優しくて愛のある人になりたいから。